浪人生時代を少し振り返ってみる

特に理由はないんですが、ふと浪人していたころのことを思い出したので。


浪人というのはまぁ言うまでもなく、大学受験の浪人です。

僕の高校はいわゆる「自称進学校」というやつで、偏差値としては可もなく不可もなくといったところ。旧帝大レベルに合格するのは毎年学年に10人もいないくらい。

そんな中、僕も周りと同じように高3になると同時に受験勉強を開始。が、結局前期試験で第一志望の国立大に落ち、私立もほとんど全滅。普通に考えて絶望的な状況なのに、今思えばずいぶんのほほんとしていた。

しかし開き直っていたのが逆によかったのか、奇跡的に国公立の後期に合格。
で、このままその大学に進もうかとも思ったんですが、ちょっと待てよと。

元々僕は法学部を志望してたんですが、その後期で受かった学部は法学部ではなかったのです。

国公立の試験は、今はどうなのか知りませんが、前期と後期の専願はセンター試験の後同時に両方とも決めて、出さなければならなかった。前期試験に失敗してから、やっぱり後期の受験校を変えようなんてのはできない。

でもまぁ、要は第一志望に合格できればいいわけで、あくまでも後期試験は滑り止めなのです。だから学部が希望と違ってもあまり真剣に考えなかった。アホですね。どうせ前期で受かるさと根拠もなく楽観していたんですから、救えない・・・


というわけで「納得できん」とかなんとか言って、合格した大学を辞退し、浪人を決意。
その大きな、というか唯一の理由が「法学部に行きたい」ということなので、それだけは最後まで曲げるまいと決める。


そして高校の友達がみな大学生活をスタートさせているとき、僕は予備校へ。友達のほとんどが現役で合格した大学へ通い始めたので、それまでのように励まし合えるような知り合いもなく、孤独かつ世間と断絶された浪人生活がはじまります。

浪人生活のはじめは、思っていたよりかなり楽しいものでした。
どちらかといえば大学のそれに近い予備校のカリキュラムや、めちゃくちゃ分かりやすく、しかも面白い講師陣の授業。どれも新鮮だった。


だがそんな生活もそう長くは続かず、若干浮き足立っていた僕はそれほど勉強に集中してはいなかったと思う。もちろん勉強はしていたが、何しろ高校時代のように規則もない、言ってみれば自由な生活なので、さぼろうと思えばいつでもさぼれるのです。


話は少しそれますが、予備校の講師というのは授業の分かりやすさ・面白さが高校の教師より格段に優れています。そこはやはり、教えることのみに特化したプロ集団。「今でしょ!」の林修先生をテレビで見て、あぁ分かるって人も多いと思います。

そしてその授業は度々、雑談的なものも絡めて行われます。特に社会科目の講師は、個人的な話から時事問題、果てはAKB総選挙まで、幅広く余談で話してくれる。その年は震災があった年だったので、政府の震災への対応から原発事故、放射能まで、「政治」の話題は尽きなかった。それを授業内容と見事にリンクさせてくれるので、面白い上に勉強になる。

そんなこともあって、僕は政治に対してとても興味が出てきました。法学部ならそういう勉強もできるんじゃないかと思った。浪人してよかったなと思う理由があったとすれば、これがその一つでしょう。
まぁそうした「先」への期待が今目の前にある英語や数学などの勉強にも向かえばいいんですが、相変わらず自分の学力には自信が持てないままでした。


そんなこんなであっという間に夏休みに突入。もちろん浪人生に「夏」はあっても「休み」など皆無ですが、予備校の正課授業がいったん区切られ、夏期講習が始まるのです。

その時点までに受けた模試の成績は芳しくなく、現役時代よりもう2ランクくらい上の大学を目標にしていた僕は、ここにきて焦りが出てくる。おせーよって感じですけど。親も交えての三者面談では「今からでも苦手科目を克服していけば大丈夫」など言われたが、本当に大丈夫かどうかは自分がよくわかっている。意識しないよう目を背けても心の底ではわかっているのです。このままでは絶対に受からない。また失敗する、と。そして慕っていたある講師に、自分はこれからどうやっていけばいいかアドバイスが欲しい、と聞きに行った。


ここで僕はその先生に、ガッツーンと手厳しくやられてしまうんです。

ちょっと長くなってきたので、続きはまた明日にします。


浪人生時代を少し振り返ってみる② - ゆーすとの日記
浪人はなぜ失敗するのか - ゆーすとの日記

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