本気になれない人には「当事者意識」が足りない

ここぞって時に本気になれる人となれない人の違いは、当事者意識の有無です。

***
このエントリで使っている「当事者意識」という言葉の僕なりの定義を追記しておきます。
まずベースにあるのは辞書的な意味で間違いありません。

自分自身が、その事柄に直接関係すると分かっていること。関係者であるという自覚。
とうじしゃいしき【当事者意識】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

これに加え、「適切な時に適切な危機感を持てること」「その場の自分の行動が及ぼす未来に想像力が働くこと」という意味を含みます。
詳しくは【本気になれない人には「当事者意識」が足りない】への言及を受けて。 - ゆーすとの日記に書いておきました。
***


人生には何度か「ここぞ」って場面があります。そこで上手くいくかどうかでその後の人生が大きく変わってしまうような場面――あるいはそこまでじゃなくても、重要な転機と思われる場面。その時心の底から当事者意識をもって臨める人が「本気になれる人」、そうでない人が「本気になれない人」です。本気になれない人は消極的で、目の前の困難を自分の問題として考えることができず、どこか他人事。失敗するのを恐がる「防衛本能」も働き、結局最後まで本気になれずに終わる。そのあとも反省することなく「いや、本気出してなかったから」と言い訳し、次のチャンスも逃してしまう。以下ループ。


僕は今大学生ですが、一年間の浪人を経て入学したんです。浪人が一概に悪いとは言えないし良い経験にはなりましたが、もともと現役合格を目指していたわけです。それに実をいうと、今の大学も第一志望ではありません。大学生活も中間地点に差し掛かった今僕の現役・浪人生活の改めて総括をするなら、その失敗の本質は僕が本気になれなかったからだろうと感じます。「当事者意識の欠如」です。


高校3年生の頃、クラスや周りの友人の間にも受験ムードが漂い始めました。「受験勉強いやだわー」みたいな会話が繰り返される毎日。何のために受験するのか、何のために大学へ行くのかを自分で考えてしっかり意識することのなかった僕は、その雰囲気にのまれていました。めんどくさいなーと思いつつ、周りに取り残されない程度に勉強していたのです。結果は案の定、第一志望には合格できず。後期試験で地元の国立に滑り込みましたが、どうしても納得できず浪人することになりました。そして浪人生活では現役の数倍、僕の「本気」が試されたのです。

周囲に惑わされることなく自分のすべきことをこつこつとやっていた(ように見えた)人、ある時から本気になって猛烈に勉強していた人は、皆希望するところへ合格していました。共通点は「本気になっていたか否か」もっと言えば、受験を自分の問題として認識できていたかどうかです。


お酒やタバコがやめたくてもやめられないって人がいますよね。そういう人も同じです。「お酒飲んだら死ぬよ」って言われたら、どんなに好きでもたぶん飲まない。「酒飲んで死ねたら本望だ!」って人も「今飲んだら、明日には死にますよ」ってことならためらうでしょう。さすがに死ぬとなったら大抵の人が本気になるけれど、問題の多くはそこまで差し迫ったものではない(酒やタバコが体に悪いといっても、健康を害するような病気になるのは1年後なのか10年後なのかわからないし)。危機感が薄いから、当事者意識が欠如してるからなかなか本気になれないんです。


今月1日から就職活動が解禁になりましたが、この時期になったもまだ「どこに行きたいかわからない」「とりあえずたくさんエントリーしとけ」「就活したくねぇ~」とか言ってる人は、それが本心であるにしろないにしろ危険信号だと思います。「就活解禁」なんてもの世間の動向であって、本来自分には関係ない。将来や仕事のことなんてもっと前から、中学生でも考えていて当然なんですから。当事者意識があって自分の問題として捉えていれば、今になって慌ててオタオタするはずがないんです。

当事者意識の欠如 ⇒ 本気になれない ⇒ 失敗 ⇒ 言い訳

早い段階でこの負のスパイラルから抜け出さないと、ずっと同じことを繰り返します。もっと悪くなると、これに気づいていても「別にそれでもいいや」となって、放り出してしまうでしょう。ここまで来るとたぶん末期。


何をやるにしても、結局最後は自分の気持ちと本気度がものを言います。戦術、戦略、テクニック、ノウハウ・・・どれも大事ですが、それは自分の本気があって初めて活きるもの。自分の人生なんだし、ここぞって時ほどきちんと当事者意識を持って取り組みたいものです。

自戒を込めて。

***
【追記】
関連エントリ
浪人生時代を少し振り返ってみる② - ゆーすとの日記
【追記②】
【本気になれない人には「当事者意識」が足りない】への言及を受けて。 - ゆーすとの日記

「意識の量」を増やせ! (光文社新書 522)

「意識の量」を増やせ! (光文社新書 522)

<