浪人生時代を少し振り返ってみる②
こちら⇒浪人時代を少し振り返ってみるの続きです。
さて、受験の天王山と言われる夏に突入するも学力に不安を抱えていた僕が向かったのは、当時慕っていた講師の先生のところでした。そこで何かアドバイスをもらおうと思っていたのです。
一番新しい模試の結果を手に講師室へ。
「先生、僕は今現在こうこうこういった成績なんですが、これからどうやって勉強していけばいいでしょうか。頑張れば第一志望に受かるでしょうか」
僕の問いに、先生はちらと模試の成績に目を落とし一言
「無理だね」
かなりショックでした。ほとんど考える間もなくあっさり否定されたのもそうですが、「まるで問題外」といった表情で言われたからです。もうこの時点で、正直泣きそうでしたね・・・
「で?何がききたいの?」
「いえ、その、アドバイスをもらえたらと思って・・・」
「どこをアドバイスすればいいの?全然ダメじゃんこれ。アドバイス以前に勉強してないでしょ君」
「・・・・」
容赦ない追及。歯に衣着せぬ指摘。オブラートなど皆無です。
しかもその通りなのです。僕は勉強していない・・・・だからこそ、その事実を突かれてショックだったし、今までどんなに自分自身を甘やかして現実から目を背けていたか、自覚したのです。そして「アドバイスが欲しい」といっておきながら、「何について」「どんなふうに」「どういうポイントで」アドバイスが欲しいのか、はっきりさせることを怠り、先生に丸投げしていました。
まじで泣きそうな顔してたんでしょう、先生はちょっと表情を緩めて、「今どんなふうに勉強してる?」と聞いてきました。
それから先生の質問に答えていくと、自分はどうやら得意な科目ばかり勉強し、苦手な教科から逃げていると指摘されました。ここでも露呈する自分への甘さ。
「英単語はもう一冊分くらい暗記した?」
「いえ、まだ半分くらいしか」
「遅い。現役生はこれから伸びてくるんだからすぐに追い越される。そうなってからじゃ手遅れですよ?」
僕は文系だったので、英語の成績はまさに受験の命運を左右します。その英語が、現時点で偏差値60にも満たない(確か58とか9とかだった)。
そうした成績に加え言われたのが、
「君からは必死さが感じられない」ということ。
「せっかく浪人させてもらったのに、君には何が何でもという気迫が全く感じられない。だらだらやっていても意味なんかないですから、今すぐ就職しなさいよ」
もうね、コテンパンですよ。
帰りの電車はもうそのことで頭がいっぱいで、ショックだし不安だしでもう精神的にぼろぼろでした。その夜は悔しくて泣きましたね。
その日からはもう浪人始まって以来、いや、現役も含めた受験期間でも最悪の鬱状態。
そんな中もう半泣きになりながら勉強しました。
分厚い問題集を何周もしたり、英文をひたすら暗記したり、文法・構文の解説書を一日で終わらせたり。それでも不安で仕方なかった。ほんとにもんもんと鬱状態でしたね。あれは今思い出してもひどい。
浪人するってこんなに精神やられるのか、と。
あるときなんて精神だけでなく体にも何か異変があって、手足がしびれるような、体に力が入らない時もありました。どんなに頑張っても机に向かうことさえできない。座っても全く集中できないのです。
その日はさすがにやばいと思って、家に帰りましたけどね。
そんなこんなで、夏休みの総仕上げ、記述模試です。
相変わらず精神やんだ状態で臨みました。直前まで世界史の用語を頭に詰め込んでいたけれど、全然自信なんてなかった。
ですがいざ試験がはじまると、これが結構解けるのです。びっくりしました。
英語も複雑な構文を一発で見抜けたし、内容もすらすら頭に入ってくる。無我夢中で解きまくりました。
世界史は直前にみていたところが大当たりし、面白いほど穴埋めが埋まる。感覚としてはほぼ完璧でした。
得意の国語はまぁいつも通り。
手ごたえを得た僕は、なんとかここ数週間の鬱状態から脱することができたのです。
試験の結果は1か月後くらいに返却されましたが、成績は過去最高の出来で、軒並み偏差値が10~15くらい上がっていました。めちゃくちゃうれしかったですね。
あの時先生が、都合のいい、耳触りのいい言葉を僕にかけていたら、そんなことも起こらなかったでしょう。手厳しい鞭でしたが、感謝しております。
そうして僕の夏は終わり、季節は秋へ。この続きは(書くかわからんけど)また今度ということで。