日記-20200804

長かった梅雨が明けた。
手持ちで唯一まともに使えるビニール傘もボロボロだし買い替えようかと思っていたが、
梅雨明けのほうが早く来てしまった。こうやって足踏みしている間に機会は過ぎていく。

買うと言えば最近、ワイヤレスイヤホンを買った。初めてではない。二つ目だ。
一つ目は最近とんと見かけない。コード式のも含めれば何個目だろう?イヤホンをなくすことにかけては自分の右に出るものはいないと言っていい。
たぶん冬用の上着のポケットにでも入れっぱなしになっているのだろう。そのうち出てくると思って気長に待とう。
というわけでイヤホンを新調したので、通勤中などに音楽を聴いている。
「香水」、流行ってるみたいだけど、なるほど素朴で独特なメロディと歌詞が耳について離れない。
あとはミスチルとかを聴いている。
バラードで別れの曲は多いが「君のいた世界にはもう戻れない」的な歌詞がすべてビフォアーコロナ/アフターコロナを風刺する歌詞に聞こえてくるのは
そろそろ気が滅入ってきている証拠かもしれない。

2020はオリンピックの年だったはずが、完全に新型コロナに塗りつぶされてしまった。
ここまで全世界的に一つの事象が席巻するのは記憶にない。影響力の範囲という意味では、
これに並ぶのは直近でも第二次世界大戦くらいではないか?何か他にあったっけ。
短いような短くないようなここまでの人生だが大体、10年おきくらいに日本や世界に大きなな出来事が起こっている気がする。
ここ10年で自分が大きく変わったような気はしないが、世界の方はゆっくりと、時に雪崩を打つように、変わっていく。
マスクも密も気にせず出歩ける気楽な世の中にいつか戻ってほしいが、この感じだと完全収束は少なくとも3年から5年後になるんだろう。
夏でもお構いなしに猛威を振るう現状を見ると、冬にはインフルエンザが可愛く見えてくるかもしれない。

それはそれとして、おととい機会あって久しぶりに「クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲」を観た。
もう何回目かわからないが、いい映画である。毎度同じシーンで泣きそうになるけれど、泣きはしない。
今回見ていくつかわかったこと、腑に落ちたことがある。
ケンとチャコはなぜ結婚していないのか?である。そこまで難しい話ではない。
二人は同棲している。付き合っている男女にとっては一番楽しい時期だ。
さらにその先には当然結婚して家庭を築いて・・・といった明るい未来がある。もとい、今なら明るいと「信じられる」未来が。
そこに留まりたい、ずっとこうしていたいと思うのはとても自然な感情だろう。
先に進めば進むほど背負うものが増えていく。人生がどんどん手に負えないものになっていく感覚。予感。

未来を勝ち取りたいしんちゃんは必死でそれを止めようとする。
でもしんちゃんには大人たちの「懐かしい」感覚はわからない。どちらかというと、自分には振り返る「過去」などなく「未来」しか
ないのだから、それを奪うな、という立場だ。まあその通りだ。
でもケンやチャコや、あの街に住む人にとっては違う。年を取るごとに「過去」の比重がどんどん大きくなっていくのだ。
最後に装置の作動を止めたのはしんちゃんの機転や説得があったからではない。街の人が自ら「未来」を選び取ったからだ。
野原家の活躍はあったがあの結果をもたらした要因はそれだけではない、むしろ別にあるというメッセージを、今なら受け取れる気がした。

日記-20190811

ここ数年の夏の暑さは異常だと思っていたけれど、今年もご多分に漏れずというかんじでとにかくひどい。
ニュースを見れば熱中症で死者何人などと連日流れている。さもありなんという気温なので全く驚かない。セミすら暑さで寿命が縮まっているんじゃないだろうか。
クーラーをつけたまま寝るというのは電気代や体が冷えるのを案じてやっていなかったんだけれど、むしろつけたまま寝ないと起きた時の不快感がほんとうにひどくて、解禁せざるをえなかった。
地球温暖化って言葉は自分が小学生の時から言われていたが、いよいよ来るところまで来ている気がする。
そういえば新海監督の『天気の子』を見たけれど、昨今の気候の変化を徐々に世の人が感じ始めている中でこのテーマチョイス、なるほどと思った。
まあ正直テーマと映像美以外は自分にとって収穫はなかったが。そもそも対象年齢が自分より10は下としか思えないので、映画を観ながらなんだかいたたまれなかった。

日記-20181014

時間が経つことのなんと早いことか。気が付けばもう10月だ。
あんなにも暑かった夏は過ぎ去って、上着を羽織らないとYシャツ一枚じゃ朝晩寒くなってきた。
2018年の総括にはまだ気が早いけど少しだけ。

いまだに学生気分が抜けないのか、就職してからもう2年半以上たつのかーなどと考えてしまう。
もうすぐ3年といえば、中学や高校ならそろそろ卒業が見えてくる。
3年ってこんなに短かったっけ?
今年もいろいろあった気もするし、たいして何もなかったような気もする。
異動はあったがすっかり慣れてしまったし、業務はルーチンが多いからそっち方面で大きな変化があった気がしない。
プライベートも大して変わらず・・・と思ったが少しだけ知り合いが増えた。少しだけ。

なんだか年を追うごとに無気力になってる気がして危機感を感じるけど、
それすら「別によくね?」ってなりかけてるのがちょっと怖い。プライベートにあまり変化がないのは単純に努力不足だろう。
もともと変化や刺激が好きなほうではない。ぼーっと生きている。
無理する必要はないと思ってるし、これでいいのかもしれない。
お金に困ってるわけでもなし、たまに遊んだり旅行に行ったりする友達もいる。
勤め先はまぁ優良企業と言っていい。いまのところ。
あと健康。たいした怪我病気もなくやれている。
良くも悪くもぬるま湯だ。

正直あまり切羽詰まった経験もなくここまで来た。そういう世代なのかもしれないが。
おせじにも器用なほうではないが、なんとなく「普通の」人生を歩めている。歩んでしまっている。
これでいいのかしらという思いがいつも頭の片隅にある。
もっと自分の欲に自覚的になったほうがいいのかもしれない。
手の届く範囲の欲しか拾わず、少しでも難しいと思うと、まぁいいやで引っ込めてしまう嫌な癖がついてしまった。

とはいえ今年を振り返ってみて、少しでも変化を取り入れようという意識はたしかにあったと思う。
なのに対して変化を感じていないってことは、やはり踏み込みが足りなかったのか。
学生の時のように、自動的、強制的に大きな区切りがやってくることはもうない。
リーマンショックのような不況で今の会社がつぶれかけでもしない限りたぶんリストラもない。
なんとなくでこのまま5年10年過ごすことは、楽ではないが比較的容易いだろう。

ほかの人はどうやって日々の生活に変化を取り入れてるんだろう?
こうやって書きながらも考えてみると、やはり目標だとか抱負だとか、そういうのが大事なのかもしれない。
それなりに困難な目標設定と行動。成功しようが失敗しようが、少なくとも「何かあった」と思える気がする。
まだ今年は2か月半ある。それだけあれば何かできるだろう。
少し考えてみよう。

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