不毛な「競争社会のレール」からさっさと降りてしまいたい


ひたすら上を目指していくかのような競争社会のレールから、僕は早めに降りてしまいたいなと思っている。世間一般ではまだまだ未来ある若者の域だと思うけど、20年そこそこ生きてきてわかったのは、勝ち負けや競争といったことに僕はどうやら興味がもてないし、向いてもいないということだ。

日本は未だ近代から140年続く学歴社会にあって、ずば抜けた才能のなさそうな者が生きていくために必要な、もしくはベターであろう条件を満たすために、いい高校へ、いい大学へ行こうという志向をとりあえず持ってここまで来た。結果はまぁ可もなく不可もなくといったところだろう。次は普通に考えて就職だけど、しかしそこでも“ベターな”暮らしを志向するなら、目指すべきは給与や将来性など含めたそれなりに条件のいい企業ということになる。大企業なら一生安泰ではないのはもちろんだけど、それでも「いいところ」というのはある程度決まってくるだろうし、そういうところは自ずと入るのも難しくなる。よって、やっぱりそこでもまた他との競争ということになる。運良く入れたとしても出世だの社内政治だの、面倒は絶えないのかもしれない。

経験がないので僕の妄想も多いだろうが、仮にこれが大方正しいとして、こういうのっていつまで続くんだろうなと考えてしまう。


よく言われるように、これからの日本の経済規模は縮小するばかりだ。人口は減り少子高齢化が進む。3、40年前のような成長するばかりだった日本はもうなく、これからも日本の市場のみを当てにしていくような企業に大きな成長はあり得ない。今から企業に就職しても(何世代か前の人がもらっていたような)金銭的な豊かさを得るのはかなり難しい。「勉強していい学歴を手に入れいい企業に入れば幸せになれる」と言われて頑張ってそこまで来ても、リターンは微々たるものだ。頑張ったところでどうなるんだ?と思いながら、しかしそれ以前の学歴競争に負ければ将来の選択肢はさらに少なくなるのだから、とにかく頑張るしかない。


今の若者はたぶん、たとえ未来に大きな希望が見えなくても、立ち止まってしまえばもっと悪い結果になるかもしれないという恐怖に駆り立てられて必死になっている。競争なので、当然“敗者”が生まれてしまう。秋葉原の通り魔事件や「黒子のバスケ」連続脅迫事件、最近ではAKBの傷害事件を起こしたのは、こうした社会のほころび、矛盾の裂け目に堕ちてしまった人たちだ。もちろん擁護する気はないが、今の社会が生み出した事件なのは疑いようもない。これからもたぶん、同じようなことは起きる。
僕もけっしてそういうことに無関係ではない。日本はそれなりに住み心地がよく環境にも恵まれて幸せに育った自覚もあるが、漠然とした不安は決して小さくないのだ。


そこで最初に戻るんだけど、こういう不毛な競争から降りるにはどうすればいいんだろうなと考えている。少ないパイを取り合うゲームで勝つためにひたすら上昇志向を持ち続けるのは嫌だし、向いてない。かといってこの歪んだ社会を変革しようとか言って、革命を掲げたいわけでもない。

競争とは無縁の場所でのほほんと暮らしたい。のほほんとまでいかなくても、他との競争のために消耗するだけの生き方はしたくない。そのためにはいつかどこかで、このレールから外れなきゃいけないんだろう。僕ははいつどこで、どんなふうに外れるべきなんだろう。

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