孤独で独りよがりな成功体験を積んで欲しい。

先日の夜、携帯に電話がかかってきました。電話の向こうにいたのは9歳の弟。なんでも習字の大会で賞を貰ったそうで、その報告とのこと。大会に出ることは夏ごろから知っていましたし、帰省した時は練習に付き合ってあげたりしていたのでこれはかなり嬉しいニュースでした。学校の朝礼時に全校生徒の前で表彰されたことを興奮気味に語る弟を、僕は素直に「よくやった!」と褒めてあげました。


これはかつて僕も通った道なので、彼の嬉しさはよく分かりました。その大会、まず出場するだけでも学校代表に選ばれる必要があり、生半可な練習量では出ることすら叶わず予選落ちです。さらに本番となると周りは各校選抜の猛者ぞろい。それはもうなかなかの緊張感だったはずですが、弟はそこで実力を発揮できたんでしょう、電話越しに話す声に自信がにじみ出ていました。このことは彼の中で、ひとつの成功体験として刻まれるんだろうなぁと思います。


成功体験も「承認型」と「自己完結型」で性質が異なります。「承認型」というのは、その習字の大会のように賞を貰うなど目に見える結果があり、他人に認められることで得られるもの。「自己完結型」は自分の欲求に従って行動した結果得られ、その過程も結果も全て自分の中で完結するようなもの。まぁ実際はこの二つの混合パターンがほとんどで、その割合が違うのだと考えてます。


最近よく思うのが、成功体験を積むのはいいけれど、前者の「承認型」ばかりになってしまうと危険だなということです。他人に評価されたいと思うことはごくごく自然な欲求ですが、それをひたすら追い求めて暴走したり元々の目的を見失ったり、最悪犯罪に手を染めてしまうような危険をはらんでいます。特に今は(やり方によってはいくらでも)ネットを使って誰でも承認欲求が満たせるし、不特定多数の人に自分を知ってもらったり、評価してもらうことがそれほど難しくない時代です。

また違う視点から見れば、「承認型」は自分の価値を他者に依存しているということでもあります。良い評価を受けるだけならいいけれど、どんなに優れた人でも時には酷評を受けることがある。たとえ自分や自分の生み出したものが実際に価値のあるものだったとしても、他人は根拠なく好き勝手に批評することだってできるのです。「承認型」の経験(が占める割合)が大きい人は、そうした言葉や評価に一喜一憂してしまうでしょう。成功を「承認型」ばかりに依って得るものは、一時の満足感は大きいが、後には薄っぺらく小さなものしか残らないのです。


その点「自己完結型」は全て自分の中で始まり終わるという、超省エネ型の成功体験です。「これがしたい!」と思うのも自分、行動するのも自分、そして評価するのも自分。「自己完結型」のいいところは、達成(成功)できたか否かの判断を自分自身で下せるということです。客観的な基準(~賞や順位)は必要ない。ただこれは、時に孤独です。自分が出した結果や努力を、誰も評価してくれない寂しさがあるからです。

以前「勝ち続ける意志力」という本を読みました。著者の梅原さんの、(公には)評価されずとも格闘ゲームをひたすら追求し、世界トップレベルに上り詰める強さはすごいの一言。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

世にいう「成功者」、とりわけスポーツの世界で結果を出している人たちはみな、「自己完結型」の成功を積み重ねてきた人たちなんじゃないかと思います。イチローや本田が他人の評価に依存している姿なんて、想像もできない。


僕の弟は今回大会に出てひとつの結果を出したと言っていいでしょう。ですがそもそも出場するきっかけとなったのは親の勧めであったり、習い事の先生の後押しがあってのことでした。また今年はこうして結果が出たけれど、来年も出られるかどうか、出ても結果が出るかどうかなんてわからない。本人の頑張りを加味しても、「承認型」の割合は結構大きい。大会に出ることはもちろん有意義だけど、兄としては彼に同時にもっと、孤独で独りよがりな、自分以外誰にもわからないような小さな「成功」もたくさん積んで欲しい、そんな自己満足で溢れた報告をもっと聞きたいなと思ったのでした。

<