「自己受容」と「無償の愛」の物語-映画『思い出のマーニー』

『思い出のマーニー』観ました。

あまり期待せず観に行ったんだけど、予想に反して引きこまれた。これまでのジブリ作品とは少し方向性が違っていてかなり新鮮に感じた。それはどこか。まずは①脱・ボーイミーツガールしていて、主役・準主役級の男の子がでてこない。ガールミーツガール。あとは②物語全体がひとつの「謎解き」になっていることだ。


①については皆なんとなく察しついていると思う。レリゴーじゃないけど、ついにジブリも男の子要らずな方向へ踏み出したんだろうか。僕は別に「絶対男の子を出せ!」って思ってるわけではない。けど、なんとなくジブリは王道のラブストーリーを貫いていくんじゃないかと思っていたからちょっと意外だった。しかも実際見てみたら割と「アリだな」と思えた。

観る前から「もしかして百合?」とか思っていたけど、まぁそこは予想通りだったかもしれない・・・いや、どうなんだろう。女の友情はよくわかんない。

でも男女の恋愛がメインテーマでないことを除いても、今年のアニメ映画として「アナと雪の女王」と「思い出のマーニー」は似通った点が多くて、これから沢山比較されていくんじゃないかと思う。


そして②の「謎」とはずばり「マーニーとは誰なのか?」だ。

心を閉ざした少女

他人に心を開けなくなっていた主人公の杏奈。それを彼女は「この世には目に見えない魔法の輪がある。私はその外側の人間」と表現する。他人と上手く関われず、いつも不機嫌そうにして、突っぱねてしまう。そしてそんな自分に自分で気づいていて、また自分が嫌いになる。

僕はこれ、わかるなーと思った。大げさに言ってしまえば「人間不信」だ。世界が全て敵に思えてしまう。

「魔法の輪」の内側の人間は、いつも楽しそうに家族や友達と過ごすことができる。人と関わることが何の違和感もなくできてしまう人たちだ。それを外から見ていて、羨ましいなと思うと同時に自分はそこには入れないと諦めてしまっている。

魔法というのはつまり「理解できないモノ」の象徴だ。外から見ている人にとっては、内側で楽しそうにしている人たちがなぜそんなにも普通に出来てしまうのか、不思議で仕方ない。まるで違う人種に思ってしまうのだ。だから杏奈はそれを「魔法の輪」と呼んだのだろう。

育ての親が心配して声をかけても「ガーガー鳴いて、アヒルみたい」。療養先で知り合った女の子にも「ふとっちょブタ」。動物に例えてしまうくらいには、同じ人間とも思えなくなっている。杏奈にとって他人は、違う世界の生き物だ。

マーニーとの出会い

そんな杏奈が、療養先の田舎で不思議な少女と出会う。マーニーはなぜか杏奈を知っていたし、杏奈もマーニーを知っていた。なぜだろう・・・このへんからもう謎解きははじまっている。

二人のやり取りはまぁ百合百合していた。と、僕は思ったけど女子ってあれくらいスキンシップとして普通にやるよなとも思った。マーニーが恥ずかしげもなく抱き着いてきて杏奈が「あっ・・」とか言いいながら頬を染めるシーンがいくつかあったけど、あれってやっぱそういうことなのかな?そうとも取れるし、違うなら違うでわからんでもない。ここのところは是非女性の意見を聞いてみたい。

でもたぶん、杏奈が出会うのは男の子じゃダメだったんだろうなとは思った。この物語は杏奈の自己肯定・自己承認がテーマだけど、彼女をまるごと受け入れて抱きしめてくれる友人が必要だったんだろうと思う。最後には明らかになるけど、マーニーの杏奈に対する愛情はその究極とも言えるものだ。これがいきなり男の子ってわけにはいかない。何しろ自分が嫌いなんだから、ハードル高すぎる

療養先の叔父さん叔母さんの振る舞いも同じだ。親と違って、杏奈の行動にほとんど制限を設けない。夜遅くまで遊んでいても、友達と喧嘩しても全く怒らないし、からっと笑い飛ばしてくれる。それに安心して、徐々に徐々に心を開いていく杏奈。「ありのーままのー♪」って聞こえてきそうだが、こっちはあれほどパワフルじゃない。ほんとにゆっくり、おそるおそる一歩二歩と踏み出して「魔法の輪」を越えていくかんじだ。




新訳 思い出のマーニー (角川文庫)

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思い出のマーニー: スタジオジブリ絵コンテ全集21

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