末の弟が生まれた話


このブログにも何度か書いているが、僕には年の離れた弟がいる。まだ10歳に満たない彼が産まれた頃の話。

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母から「赤ちゃんが出来たよ」と聞いたときは、「まじか!よっしゃ!」と思った。かなり嬉しかった。普通ならそんなすぐに反応せず、びっくりしたり戸惑ったりするもんかもなと、今は思ったりもする。

僕の場合その1年か2年前に従妹が産まれていて、たまに叔父の家に遊びに行ったときはよく世話をしていた。そのせいもあってか、単純に赤ちゃんが好きだった。弟か妹ができると聞いて、めっちゃ喜んでいた。


しかし父にとって(もしかしたら母にとっても)妊娠は予期せぬものだったらしい。父は子供を産むのは反対だと、母に言ったらしかった。それに対し母が何と言ったのかはわからないが、赤ちゃんをおろしはしなかった。

時期はあまり定かじゃないが、たぶんその頃からだろう。両親の夫婦仲は悪くなる一方だった。

父はもともと頑固で無口だが、その頃はもう家で一切喋らなくなった。機嫌が悪いとそうなるのはいつものことだが、それがずっと続くとなるとやはり異常だ。僕も子供なりに家庭内の重苦しい空気を感じ取っていたが、そのことを半分諦め、半分は目を背けてるような気持ちで過ごしていた。


僕はとにかく、赤ちゃんが生まれるのが楽しみだった。母のつわりがひどい時期にはスーパーまでグレープフルーツを買いに行き、重い荷物を持って、洗濯物を干す手伝いなんかも買って出た。こう書くと凄くいいお兄ちゃんみたいだが、家の手伝いなんてそれまで全くやったことはなかった。しかも弟が生まれたあとはまた全然やらなくなった。


そうこうするうちに、お腹の中で赤ちゃんが動くまでになった。マッサージチェアを作動して上から触ると手にゴロゴロした感触が伝わるが、赤ちゃんが動くのもそんな感じだ。たまにボクッと鈍い音がして、中で蹴ったりしているのも分かった。経過は順調だった。


あと数か月で予定日という頃、両親の仲はこれまでで最悪なかんじになっていた。喧嘩にもならない喧嘩が何度かあって、ある時、かなり長く話し合っている日があった。祖父母も交えて話し合っていた。僕もそれを聞いていた。内容はちょっと書けないけど、父は難しい顔をし、母は泣いていた。
今考えてもなかなかドギツいものだった。



それからちょっとして、家の空気は少し軽くなった。父がこっそり姓名判断で名前の候補を調べているのを知った。祖母が家に泊まり込んで、母のサポートをしていた。僕は小学校の修学旅行が近く、その準備やらなんやらに心を奪われていた。


修学旅行の前夜、母が「産まれる」と言って父と病院へ行った。しばらくして父からの電話で、無事産まれたことを知った。

父は「男と女、どっちだと思う」と訊いてきた。僕は「男」と答えた。父は「当たり」と。ちょっと残念だった。実は妹がよかった。しかしすぐにどうでもよくなった。


次の日、予定通り僕は修学旅行へ行った。京都タワーのお土産屋でデンデン太鼓を買った。400円もした。

帰ってきて数日後に、母のいる病院へ行った。その日が退院の日だった。
そこで初めて僕は弟を目にした。

ドラえもんを読んで、生まれた赤ちゃんが「サルみたい」なのは知っていた。実際見てみると、なるほど、顔は赤みがかってしわくちゃだった。しかしサルってほどじゃないだろ、とも思った。


家に連れて帰り、一人家族が増えた。
起きてるときはおっぱいを吸っているか、目をつぶっているかだった。夜は夜泣きした。

僕の小指を弟の手のひらに置くと、弟はそれをぎゅっと握りしめた。赤ちゃんにしてはなかなか強い握力だ。

しばらくすると夜泣きにも慣れっこになり、たまに僕があやして寝かしつけた。デンデン太鼓はあまり意味がなかったので放置していた。


2か月もすると弟はぶくぶく太って、サルじゃなくブタみたいになりつつあった。


父はケータイやビデオカメラで弟を撮りまくっていた。待ち受けは毎週変わったが、全て弟だった(そんな調子が数年続いた)。


僕は朝、弟が起きて泣き出したら、二階の寝室から一階のリビングまで連れてくる役目だった。弟を抱いて降りるとき、階段でズッコケないようかなり気を使った。あとはよくお風呂に入れていた。


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デンデン太鼓はもう何年も前にどっかへ消えた。父のガラケーの裏にはいつ撮ったんだよみたいなボロッボロのプリクラ(with弟)が貼ってある。


僕は弟と一緒に寝るとき、たまにこっそり手のひらに小指を差し込んでみる。が、もう条件反射は起こらない。

その代わり起きてるときに「おんぶして!」と言いながら首根っこをぎゅっと掴もうと飛びかかってくるので、後ろを取られぬよう警戒している。


ドラえもん (2) (てんとう虫コミックス)

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