震災を観る

ちょうど今日から2年と11カ月前、その後の日本を大きく揺るがすことになる「東日本大震災」が起きた。この約3年という時間が長かったのか短かったのか、それぞれ人によって感じ方は違うと思うのだけど、僕の実感としては「もう3年も経ったのか」という印象だ。それはたぶん、テレビや新聞、ネットといったメディアから流れてくる情報や、国や地方の政治、本屋に並んだ書籍のタイトルなどを見ていて、今なお日本と日本人に大きな影響を与えているのがよくわからるからではないかと思う。


3.11以前と以後では国として進んでいく方向も大きく変ってしまった。そしてそれは、もっとミクロなひとりひとりの個人に焦点を当てても同じだと思う。僕は国や自分の生活、将来を考えるとき、思考のどこかにいつもあの「震災」があるような気がする。住む場所や将来就く職業について、震災とそこで起きた出来事の記憶を完全に切り離して考えるのは難しい。とはいえあと一か月で震災から3年が経ち、これが4年、5年、さらには10年と経つにつれ、またその捉え方も変わってくるかもしれない。だから今自分なりに、「震災」の総整理というか、総括をしてそれを記録しておきたいなと思っている。総括と言っても、やることはただ、このブログらしく「本や映画に触れつつ、震災について考える」こと。今日から一か月、毎日とはいかないけれど、そういう方針でやってみたい。

できるだけたくさんの視点から東日本大震災を“観”てみるつもりだ。

インポッシブル [DVD]

インポッシブル [DVD]

映画『インポッシブル』。2004年12月26日に起きた「スマトラ沖地震」による津波に巻き込まれた家族の実話を基にした映画です。

あらすじ: 2004年末、マリアとヘンリーは、3人の息子と共にタイにやって来る。トロピカルムードあふれる南国で休暇を過ごすはずだったが、クリスマスの次の日、彼らは未曾有の天災に巻き込まれる。一瞬にして津波にのみ込まれ、散り散りになった家族はそれぞれの無事を祈りつつ再会への第一歩を踏み出す。


その日海岸のビーチで遊んでいた家族は、襲い来る津波に直撃され、離ればなれになった。母親のマリア・シモンと長男ルーカスは互いを見つけ助け合うのだけど、母親は重傷を負ってしまう。描写も生々しくて、正直見たくないくらい痛そうだった。映画とはいえ僕は血を見るのもけっこう苦手なので、思わず膝をさすさすしながら観てました...


印象的なのは映画のラスト、マリアが怪我の手術をシンガポールで受けるために家族とともに飛行機に乗り込んで、飛び立つまでのシーン。マリアは窓の外を眺めながら涙を流している。やがて窓が映すものは反射したマリアの顔から津波に襲われた海岸へと変わり、それを映し出していく。


その時の彼女が感極まって流した涙って、どういう涙なんだろう、と思った。「生き残った」という安心感?家族に再会した嬉しさ?命を落としてしまった人たちへの哀悼?罪悪感?幸運への感謝?あるいはその全てだろうか。

「みる」という言葉には漢字が三つある。「見る・視る・観る」、これらはそれぞれ若干ニュアンスが違う。僕の感覚だと、「見る」はそこにあるものをぼんやり見渡すかんじ。「視る」は目の前のものを直視するかんじ。そして「観る」は、少し遠くから眺めているかんじです。


東日本大震災が起きた日僕が“観た”のは、テレビに映る津波のようす。たぶんヘリコプターが上空から見下ろす形で映し出したものだったと思う。津波が海岸線を襲い、土砂で茶色く濁った海水が容赦なく建物や自動車を飲み込んでいく。けど正直に言えば、その映像の悲痛さや恐怖とともに僕がわずかに感じていたのは、映画やドラマを“観た”ときに感じるような「スペクタクル」。とても不謹慎だし、それはよく分かっているけれど、感じたことを偽るのも違うと思うのではっきり言う。そこで人が溺れているかもしれないのをわかっていながら、僕はどこかで「すごい映像だ」なんてことを思っていたのです。


『インポッシブル』のシモン一家は海岸に近いホテルのプールで津波に襲われる。彼らが“視た”数メートルもの高さの津波の恐怖は、ただテレビの映像で上から“観て”いるだけだった僕には到底分からない。


母親のマリアと長男のルーカスは、津波からなんとか生還し助け出され、病院へ運ばれる。父親のヘンリーは見失ったその二人を探して各病院を探し回る。その中でそれぞれが“見た”のは、さまざまな境遇を抱えた他の被災者たち。みな家族と引き離され、行方も分からないままだ。


僕は震災や津波の当事者ではないので、まずは何が起きたのかという事実や、そこで感じた恐怖や悲痛さを少しでも理解したい、と考える。感じたり思い至る部分が広がることで、自分の中に何か少しでも残るものがあるだろうと思うからです。でも実際に“視”ていない限り津波の恐ろしさを本当の危機感をもって感じることはできないし、被災地へ行ってボランティアをしたわけでもないので“見る”ことさえできなかった。結局できたこと、したことといえば、テレビを通して“観る”くらいだった。同じ日本とはいえ、大多数の人が僕と同じだったと思います。

マリアが映画のラストで流した涙には、彼女が津波被災者として“視”たり“見”たりしたゆえに感じたこと・思いを含んだものだろう。僕はこうして「震災について考える」なんて言ってるけれど、書籍や映画をあたったところで結局できるのは“観る”ことだけだと思う。それはまるで地震津波被災者、原発事故の作業員の視点には及ばない。そういう前提はあるけども、できるだけ多くの視点で、あるいはこれまでの経験から震災を“観る”ことで、その当事者の目線に近づくとともに、自分なりに震災を考えられるんじゃないかと思う。できるだけ多く“観る”視点を集めることが、僕がこのブログでできることだろう。


「震災を総括するために頑張ろう」とは思わない。なるべく今自分ができる範囲で、想像と感覚の及ぶ範囲で考えていけたらいいなと思う。

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