就活や将来へのぼんやりした不安

高校の同級生で大学院に行かない友達はみな、今年~来年にかけて就活だ。僕は一年浪人しているので違うのだが、今年に入ってから(今の時期は特に)「ついに就活か。どうしよか」みたいな話をちょくちょく聞く。

ある友達は「不景気だし、俺は就職できるならどこでもいい。ただ『どこで』就職するのかというのは大事だと思う」と言う。他にも「俺は大学院に行く。研究者になりたい」と夢を語るすごいやつ、「あまり大きなところは狙わない。ある程度絞ってさっさと終わらせる」と言う友達もいる。難関と言われる資格に挑戦してるやつもいれば、「やめろ!そんな真面目な話はしたくねぇ!そんなの関係ねぇ!」なんて友達もいる。みんな色々である。


国民の幸福度ランキング - OECD Better Life Index(BLI) 2013年版
こんな調査がある。見てみると、日本国民の幸福度は36か国中21位である。自殺者が毎年3万人でる国だ。そんなに高順位でないのは想像に難くないが、それにしても、世界第3位の経済大国にもかかわらずこの現状というのはどうなのだろう。日本は安全だしご飯もおいしいし、お金と時間があれば大抵のものが手に入るこの国で暮らすことが、「これまでは」とても幸せだったと僕は感じている。

けれど同時に僕は、社会に出ると辛いことが沢山あるよ、なんて話を聞かされて育った。「社会ってそんなに怖いものなのか?」「ストレス社会って、どれほどのものなんだ?」という見えない不安はたしかにある。数値では測れない不安がたしかにあって、自分たちを覆っている。気のせいかもしれないが、そんな空気を僕ら若者は感じている。


就活が上手くいかず、思いつめて命を絶ってしまう学生も多いらしい。同じ学生として聞くたび暗澹たる気持ちになる。「就活が上手くいかない」というのはもちろん、自殺の大きな動機だろう。ただその裏には、たとえ上手く就職できても「その先」に明るい未来が見えない、描けないという不安があるんだと思う。とにかく就職してお金を稼がなきゃならないから就活は必死で頑張る。が、その後はもう安泰なのか?そんなはずはないとみんな分かっている。それでも就職することすら叶わない、という人が絶望してしまうのも理解できる。


学校では「キャリア形成」と名のつく授業がある。僕の学部では大抵の人がそれを取る。僕も御多分に洩れずそれを受けた。担任教授のゼミOBOGを講師として招き、働くことについて話してもらうのが主な内容だ。某大手商社で働く人、中央官庁で働く人など、すごい人ばかりだった。彼らは時に冗談も交えながら、普段教授が行う堅い授業とは違い、リラックスした調子で仕事の話をする。やっぱり若いだけあるのか、語り口調も生き生きしている。

周りは皆目をキラキラさせてそれを聴き、普段は挙がらない質問が、バンバン飛び出た。「やりがいはありますか?」「英語はどれくらいできるんですか?」「仕事は楽しいですか?」「彼女はいますか?」などなど。仕事をすることをポジティブに、前向きに考えさせるのがこの授業の目的だとすれば、おそらくそれは達成された。僕もまた流されやすい人種なので、レポート試験では「めっちゃためになりました!自分もキャリアプランを立てて、いずれ海外で活躍したいです!」みたいな内容を鼻息荒くして書きなぐった。そして単位を落とした。


少し冷静になって考えてみても、個人的に就きたいなと思っている仕事はある。ただそれが、自分に合った仕事かどうかはわからない。

不況とか就職率の低迷よりも飲み会の方が心配 - ゆーすとの日記
この前こんな記事を書いた。「飲み会が強制でない会社が第一志望」というのは冗談でもなんでもなくて、結構切実である。先日、来年から警察官として働く先輩と電話していた。どうやら警察は「酒が飲めなきゃ話にならん」組織らしい。警察になる気はないが、そんな企業も中にはあるだろう。何かの間違いでそこに入ってしまったらアウトだ。「自分の好きなことができる仕事」と「自分に合った仕事」は違うのだ。好きなことができても組織で働くということを忘れたら、後で痛い目見そうである。


人にもよるが、みんな就活にしろ将来のことにしろ、不安を感じている。今思えば、キャリア形成の授業ではもう少し「普通の人」の話が聴きたかった。

就活の茶番や不景気を社会のせいにしたり文句を言ったりしても始まらない。時期が来ればやるっきゃないとわかっているし、腹を括るしかないのだろう。そんなことを思う現在を、こうして記しておいた。


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