映画『傷物語』鉄血編 感想

<物語>シリーズ『傷物語』の劇場版その1、鉄血編を観てきました。

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傷物語』は<物語>シリーズの“エピソード0”にあたる、阿良々木暦と吸血鬼・キスショットの出会いを描いた物語。主人公暦が怪異と呼ばれる妖怪がおこす事件や出来事に巻き込まれるようになっていく、全てのきっかけとなる話だ。


全体的な感想でいえば「やや物足りない」というかんじ。

TVシリーズ同様、話の基本が会話劇なのはいいとして、まさかバンパイアハンターとのバトルには全く及ばず終わるとは思わなかったから。シリーズ通しても『傷物語』はかなり好きな方なんだけど、それはたぶん、ストーリーの軸にはっきりした目的意識があり、戦闘シーンがたくさんあるからだ。主人公とヒロインの会話が静かに長々と続くことが多いこの作品群では珍しいくらい、エンターテイメントしてる。

にもかかわらず、今作では目立った戦闘シーンはゼロ。正直がっくりきた。

けどそのぶん、TVシリーズとの違いをじっくり鑑賞出来て、新鮮な感覚は持続できたようにも思う。絵のタッチからCGの多用、そして音楽。TVアニメよりさらにアーティスティックな雰囲気が増していたような気がする。特に音楽はずっとポップで、それも今風のスマートなポップさではなく、若干古いかんじのそれだった。ちょっとルパン三世っぽいなと思ったのは僕だけじゃないはず。

それにしても、あの原作小説をアニメ化するのに、ああいう演出手法を使ったのはほんとに上手いなぁと改めて思う。
うまく言えないけど、非現実的な世界観を非現実的な手法で表現することで、逆にリアリティを感じさせているような、そんな演出。あの無機質な絵柄が好きじゃないって人がいるのも知ってるけれど、僕はけっこう好き。

絵柄といえば、作画はすごい見ごたえだった。羽川さんのスカートを取っ払う突風が吹くところは勢いが尋常じゃなくて笑えるし(ふわーお❤みたいな効果音も狙いすぎだけど面白い)、暦がキスショットに遭遇するシーンはめちゃ怖い。今作のストーリー的な見どころといえばその二つしかないと言っていいと思うけれど、その点かなり満足度は高いかも。

映画の感想はこれくらいにして、<物語>シリーズ全体を通しての僕の印象を。


最初はよくあるハーレムものかなと思って観はじめた。ある意味、その予想は当たっていたが、違う部分も多かった。

僕はあんまりハーレムもののアニメやラノベが好きじゃない。現実味を感じられなくて、物語に没入できないというか。

もちろんヒロインたちがなぜか主人公を好きになってアプローチされまくるっていうご都合主義的な展開もそうなんだけど、どちらかというと、男がほぼ主人公のみで、他はみんな可愛く素直な女の子ばっかりという人物配置そのものが気に入らないんだと思う。自分を攻撃したり嫌ったり、そこまでいかずとも、よく思わなかったり上手く関係を築けなかったりする、自分とは異質な「他者」の存在が見えないから。

自分に都合が良くて、心地よくて、気持ちのいい人だけで構成される閉じた世界。そんなのありえないじゃん、と。
そりゃ、小説なんて空想の世界なんだから読んだり観たりしている間はそこに没頭すればいいじゃないって考えもわかるんだけど、でも現実の世界って理不尽なことの方が多いじゃないですか。僕はおそらく、小説やアニメを観る中であっても、できれば、そういう現実と向き合うヒントが欲しいと思って鑑賞している。現実≒理不尽≒他者だから、「他者」のいない創作物はみていて退屈だしハマれない。


つまり何が言いたいか。<物語>シリーズは一見ハーレムものだけど、実は「他者」がちゃんといる、ということ。
その「他者」とは主に、物語内で数々の事件を起こす「怪異」と呼ばれる妖怪たち。


中学校の卒業式で校長先生が「社会に出たら厳しいこと大変なことがたくさんある。それに立ち向かう力をつけよう」とか何とか、言ってた覚えがあるんですよね。高校でも言われたような気がする。でも、「大変なこと」の具体的な内容を教えてくれる大人はほとんどいなかった。

僕は小心者なんで、「大変なことってなんだよ」「社会ってそんな厳しいのかよ」と思いながら、けっこう恐怖を煽られてた。得体の知れない、何か大変なことを連れてやってくる「社会」。実体のない妖怪みたいなものですよね。ここでいう「社会」は、つまり「他者」のことだったのかなぁと、今にして思う。

怪異ってのはよくわからなくて、確かに存在するが、存在しないとも言える。人の思い込みや想像が生み出したものもある。
そいつらは僕らの世界に、よくわからない「他者」として様々な影響を与える。理不尽だし、なかなか思い通りになってはくれない。

僕にとっては、「他者」としての怪異とそれに向き合う主人公達の物語、という定義が、このシリーズを観る上でしっくりくる。だから一見ハーレムっぽいのに楽しく観られるのかなぁと思うんですよね。

傷物語 涜葬版

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【ネタバレなし】映画レビュー:『スターウォーズ フォースの覚醒』

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スターウォーズEPⅦ』観てきました。
結論から言って、かなり良い出来なんじゃないでしょうか。
新シリーズ、期待していいと思う。

というわけで感想書いてみます。ネタバレはなし。

とりあえず第一印象は

「手堅く作ったなー」です。

オリジナル3部作へのリスペクトに溢れていて、特にファンでなくても、ひと通り観ていればまず誰の目にも明らかだと思う。そのくらいふんだんに惜しみなく旧シリーズオマージュを取り入れてる。個人的にはちょっとくどいくらいに感じた。

勘違いかもしれないけど、J・J・エイブラムスって過去作品のオマージュとか好きな印象あるんですよね。『スーパーエイト』をこの前観て、『E.T.』っぽいなーと思ったばかりというのもあるかも。

これだけのカルト映画だし、熱心なファンへ向けた牽制ってのもあるんでしょう。
今作から完全に誰も先の展開を見通せない新章に突入する上、ルーカス監督の手を離れてディズニーの手に渡った。つまんない映画作ったら磔にされて干されそうな、凄まじいプレッシャーのかかる作品。

だからこその「ちゃんと旧作リスペクトしてますよ」アピール。
だいたいEP7を観に来ようなんて考えるのは少なくともEP1から6まできっちり観てる人がほとんどなわけで、そう考えるとたしかに、旧作ファンの方を向いて作品作るのは間違ってない――というか、新章の一発目としてはこれで正しいと思う。

もちろんこれは作り手の都合が大きくて、一応全シリーズ観てはいるもののEP4~6にリアルタイムで観ていた人ほどの思い入れはない僕からすると、今回のストーリーはやや退屈だったんですけどね。

とはいえ

新シリーズを自分たちの手で作っていくんだ、という気概も、確かに感じました。

特にラストの方、誰もが息を飲むであろう衝撃のシーンがあるんですが。
なんとなくその展開を予想できてしまうのが少し残念で「やっぱりな」と思う一方、正直「あ、ほんとにそれやっちゃうんだ?」って思った。

「旧作へのリスペクトに溢れてる」って書いたけど、そんな作り手だからこそ、かなり勇気のいる部分だったに違いない。でもおそらく、避けては通れない道と判断したんでしょう。これから新たな三部作を生み出していくにあたり旧作とは決別しなければならない。いつまでも旧作ファンの方ばかり向いていられない。だからこそあえて、涙をのんで突き放した。

「これは俺たちの作品なんだ!」という作り手の叫びが聞こえてくるようでした。

しかし一方で、シリーズを貫くテーマは普遍であるとも言っている。
つまりスターウォーズは「父と子」の物語であるという、作品の根本にある哲学みたいなものはちゃんと受け継いでいく。

そんな軸足のぶれない姿勢もびしばし感じました。

次作からはどんどん新しい展開、あっと驚かせるストーリーを仕込んでくるはず。
めちゃめちゃ楽しみ。


あと忘れてはいけないのが、映画の映像そのもの。これは流石に凄かったです。3D・IMAXで観に行ったかいがあった。
とりあえず大迫力の空中戦が観られればよしと思ってたくらいで――というかそれを観に行ったようなもんだけど、その点は大満足。今までになくたっぷり空中・宇宙での戦闘シーンで魅せていた気がします。ミレニアム・ファルコンに光が灯って動き出すところなんかは、たぶん今作一といっていいくらいに胸躍るシーン。

これでライトセーバーのバトルも良ければ完璧なんだけど、こっちはやや消化不良かも。
ストーリー上仕方ないのかなとも思いつつ。


色々言いましたが結論、個人的にはかなり面白かったです。
こうしてリアルタイムでシリーズを追いかけるのは初めてなんで、生きる目的が増えたなというかんじ。おすすめです。

『フード理論』で映画は100倍美味しくなる

最近読んだ中では断トツで面白かった。

フード(食べもの)に着目すれば、観たり読んだりがずっと楽しくなる、味わえる。映画とは書いたけど、アニメでも漫画でも小説でも、およそ物語と名のつく創作物なら何にでも応用可能だ。

著者によると、物語における食べ物は演出上、感情の機微を伝えるための優秀な装置として機能し、キャラクターの特性をひと目で表すためのアイコン的役割を果たす。逆に言えば、物語に上手く食べ物を配置すれば、登場人物の性格や感情、置かれた状況を鑑賞者にスムーズに伝達させるのにきわめて有効に作用するのだ。

そうした現象の総称が『フード理論』である。

そしてフード理論には三つの原則がある。

1.善人は、フードをおいしそうに食べる
2.正体不明者は、フードを食べない
3.悪人は、フードを粗末に扱う

誰かが大きな口を開けておいしそうに食べ物を咀嚼してごくんと飲みこめば、鑑賞者は親近感を持ち、信頼を寄せる。なぜならその人物が「腹の底を見せた」と認識するからだ。腹の底を見せられる=隠しごとや後ろめたいことはないということ。よって、その人物は善人だ。フードをおいしく食べることが、その人が良い人であることを示すシグナルとなる。

同様の理由で他も説明できる。

もしその人物が、みんなが食事する場面でひとりだけ何も食べなければ、鑑賞者は怪しんで訝しく感じる。その人の腹の底が見えないからだ。例外はドラキュラやゾンビといった常人には理解不能な物質を喰らう者だが、原則として、正体不明者はフードを口にしない。

また食べ物を粗末に扱う者を、鑑賞者は悪人と認識する。誰かがおいしそうに焼いた目玉焼きに吸いさしの煙草をじゅっと突っ込んだとしたら、確実に善人には見えないだろう。

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