名探偵シンドローム

就活関連本がならぶ本棚をみると“絶対受かる面接術”とか“絶対内定のコツ”とか“エントリーシートの本質”みたいなタイトルがテカテカと自己主張している。もちろんこれはシューカツに限った話じゃなくて、英語の勉強法やビジネス書、自己啓発書、その他もろもろ、似たような文句を並べたものは多い。ネット上の記事にしてもそれは同じか、もしかしたら書籍より派手好きだ。“女性を落とす必勝テクニック”“本当に痩せるダイエット法”“東大生の勉強法”…


「絶対不変の真理はない」がとりあえず正しいとして、「物事にはいろんな見方があるから、絶対に正しい答えなんてそうそうないのだ」というのはもっともだけど、僕自身わかってるようでわかってない。自分の力だけで予想したり解決したり理解したりするのが難しいことに対しては、それを知っていそうな人、知っていると目されている人、あるいは単に声が大きいだけの人だったとしても、早急に「答え」が欲しくて思わず信用してしまったりする。理屈から言って、そもそも絶対に正しい「答え」などないのだとわかっていれば、うっかり信じ込んでしてしまうこともないはずだ。


これはちょっとやっかいな、思考のクセだと思う。学校教育の影響が大きいのか「問題には必ず答えがある、そしてそれはひとつしかない」というスキーマが出来上がってるらしい。コナンが自信満々に「真実はいつもひとつ!」と言い放つように、僕もまた唯一絶対の「答え」や「解決策」を求めてしまうことがある。どうしたらいいのかわからない不安から、これだと断言してくれる人を信用したくなる。殺人事件には真相が、数学には唯一絶対の答えがあるだろうけれど、しかし実は、そんな竹を割ったようにイコールでつながるものなんて多くない。


人生のあらゆる「答えのない問い」に取り組むとき、数学の問題、あるいは「真実はいつもひとつ」的な考え方をトレースしてしまえば、それはひどく生きづらいものになるだろう。何かあるたびに「これが答えだ!」と思うものを探しそれを用いて、仮に上手くいかなくても「これは正解じゃなかったんだ」と考えて、また正解探しを続ける。あるいは正解が見つからなくて、何もできない、動けないなんてことになる。絶対に正しい「答え」がないと生きられないのは、生き方としてはずいぶんタフだ。


絶対これが正しい!という答えを追い求めてしまうこと、信じ込んでしまうこと、その「答え」を無理矢理他の人にまで押し付けてしまうこと。ある問いには正しい答えがあると(意識・無意識に関わらず)信じて疑わないのは名探偵シンドロームだ。


じゃあ答え以外に何があるのかというと、たぶん、選択肢があるだけなんだろう。面接の必勝テクと言われるものが10個並んでいたとき、「どれが正解なのか」という問いは適切ではなく、「すべて選択肢に過ぎない」という前提があるだけだ。把握しきれないほどたくさんあるあらゆるハウツーは全て選択肢であり、言い方を変えればすべて正解とも言える。書き手/話し手がその答え・解決法の正しさをどれだけ主張していようと、いかに自分たちの正義や正しさをもっともらしく述べていようと、自分にとってはどれも等しく選択肢か、あるいは見方のひとつに過ぎない。また選ぶ基準はあくまで自分に合っているかどうか、自分にとってやりやすいかどうかなので、常に正しい「選択肢」も「正解」同様存在しないし、その時々で“自分にとって”“ベターな”選択肢があるだけなんだろう。


<