地に足着けていたいんだ
とある女子大生の話
こんな記事を読んだ。
大学に入ってから自分のパソコンを持つようになってまず驚いたのは、ネット上に溢れかえるその情報の多さだった。それまで僕は、あまり家でパソコンを触ることがなかったのだ。
2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」
- 作者: 米国国家情報会議,谷町真珠
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そんな中で人の注目を集めるのは、それなりの権威や肩書があって、なおかつ発信力がある人、あるいは「そう見える」人だ。玉石混合の情報の中から、少しでも信頼のおけるものを得ようするからだろうか。そしてそこから得られる情報はかなり良質であることがほとんどだ。読んでいてほれぼれするような、含蓄に満ちた言葉とロジックで語られている(TwitterやfacebookなどSNSの台頭によって、その情報発信者本人にすらアクセス可能になったのも大きい)。だがそのぶん、扱いに困る。いくら正しいものであったとしても、必ずしも自分にフィットするものではないし、時期尚早であることも多いのだ。
最近「意識高い(笑)学生」がよくネット他メディアで取り上げられているが、僕は明らかにこの「情報過多」とその「良質さ」が原因だと思っている。例えば最近よく見かける「マッキンゼー式思考法」とか「ロジカルシンキング」のようなタイトルが付けられた本。読んでみればわかるが、内容はとてもいい。さすがに頭の切れる人が書いているだけはある。それに感化されて、自分もそうなれると期待してしまうのだ。かく言う僕も一時期、そういった本を読み漁っては「これで自分も頭がよくなったかな」などとイタい勘違いをしていた口なので偉そうなことは言えないのだけれど、受け取った情報があまりに「正しいもの」であるがゆえに鵜呑みにしてしまい、結果空回りしているのが「意識高い系」の学生なんだと思う。
結局何が言いたいのかというと、地に足つけていきたいということなのだ。
これだけ情報が溢れかえり、かつそれが良質なものであると、つい自分で考えるのを放棄してそれを鵜呑みにしてしまう。だって明らかにその方が効率がいいし、楽だし、何より「正しい」のだ。質が良いとわかっているから、それより古かったり、劣っていそうなものを選ぶ理由もない。でもそれが癖になると、ある時ふと「どこまでが自分の考えたことで、どこからが他から得た知識なのか」が分からなくなりそうで怖い。一見もっともそうな、そして実際に良質で啓蒙的な「正しい」情報と知識をため込んで、自分は賢くなったと勘違いしてしまうのが怖い。
いま思いついたのでもう一つ「ポケモン」で例を出す。
ポケモンのゲームでプレーヤーがまだ初期の町にいる時(初代赤緑でいえばトキワシティやニビシティ)、手持ちのポケモンはせいぜい10レベル前後。そんな頃にいきなりぱっと「ミュウツーレベル100」とか手渡されると、いやでもそいつを使いたくなるだろう。だって「強い」んだから。だが実際バトルで使ってみると、そのポケモンは「いうことをきかない」ので、思うように使いこなせない。そんなジレンマが、「意識高い系」と重なって見える。
昔はもっと状況が違ったのだと思う。自分で考えたこと以外に入ってくる知識といえば、親や祖父母、友達、あとは学校の先生くらいだろう。それらからくる「情報」は、なんというかもっと身近で、地に足の着いたものだったと思う。
手にした知識・情報と自分がどんどんと乖離していく。そのせいで「自分」がおぼろげになっていく。双眼鏡ではるか遠くを見つめたまま歩き、足元の石ころに躓いてしまうような。そこで初めて「あれ、俺はまだこんなところにいたのか」と気づく。
ここまで色々述べてきたが、かといってどうしたらいいのか、僕にはわからない。
ただただ、地に足着けていたいと思うだけである。
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