日記‐20171119

たまには日記でも書こうかと思ったところでブログの存在を思い出した。
(ログインパスワード、まだなんとか覚えていてよかったよかった。)

こうやって文章を書こうかと思い立つとき大抵自分は何か行き詰まっている。
とりあえず仕事がしんどい。しんどくなかったことなんてたぶんないが、半年くらい前まではしんどい以外の何かが常にあって、
仕事に占めるしんどさの割合が相対的に低かった気がするのだけど、最近は業務に慣れて、というかほぼ飽きてて、しんどさが際立ってきた。入社1年半というのはそういう時期ではあるのだろう。

何がしんどいのか列挙してみる。
①朝起きるのがしんどい
②自分の時間が少なくてしんどい
③仕事の責任(要求レベル)が上がってきてしんどい
④最近立て続けに仕事ミスったり人間関係気まずくなったり(これは自分が感じてるだけ?)しててしんどい
⑤日曜の夜がしんどい
⑥慕ってた先輩の退社が決まりしんどい
⑦会社員としての先が見えなくてしんどい
⑧自分の仕事にあまり興味がない、身が入らない

もっとある気がするけどいったんここまでで深堀してみる

これはしんどい。早く寝ろよって言われそうだが早く寝たってギリギリまで寝ていたい質だから起きる時間はあまり変わらないのだ。
昔から朝は苦手だ。10時出社とかならちょうどいいのに。
しかし土曜の朝とかは時間無駄にしたくなくて8時くらいに飛び起きたりする。ようは仕事に行くのが嫌なだけか・・・
起きたら何か良いことあると思えればこのおっくうさも多少は消えるのかなと思うんだけど。


これもしんどい。平日最低8時間は会社に拘束されてるのに定時後の飲み会とかほんと勘弁。
まぁ飲み会多い部署じゃないから贅沢は言えないけれども、現状でもしんどいってことは
根本的に会社員っていう勤務形態が向いてないのだと思う。これは入社当初から思ってたことだが、感じ方は今も変わらない。
日中人に囲まれて仕事してるってだけで、帰宅後や土日にまで人に会う気なんて起きようもない。
週休3日くらいあれば1日休んで2日目遊んで3日目仕事の勉強とか自己投資するとかちょうどよさそう。
こういうストレスは毎日少しずつ少しずつ蓄積されていくような気がする。
先のことはわからないが、会社員を定年まで続けるなんてとても無理だ。役職こそ課長どまりでもそれをほぼ達成しかけてる父親とか、
スーパーマンとしか思えない


当然と言えば当然だが、プレッシャーをかんじる。
ちょっとテコ入れが必要な時期かなと思う。前向きに捉えれば成長するチャンスだが、どうしたものか。
資格でも取ってみようかと本屋をぷらぷらしてみたり。結果はどうあれ現状を変えようと努力すること自体が前向きなエネルギーを生んだりするし、
本気で考えてみるべきか


こんなしんどいしんどい言ってる理由の7割くらいはこれな気がする・・・
長期的な影響で言えばそれほどでもないが、単発ダメージがでかいタイプのストレスだ。
とりあえず反省だけしてさっさと忘れたい。


まさに今。


これはショックだったなぁ。
辞める理由もやっぱり人間関係のことで、上司のパワハラである。
それに怒って自ら転職を決意し資格まで取ってる先輩は強い。
お世話になった人だけに本当にやりきれない気持ちだ。その上司とは
仕事の接点もなくはないだけにもやもやは今後も残るだろう。


5年後、10年後の自分は職場にたくさんいて、それすらもあくまで
大過なく毎日働き続けることができたらの話だ。
仕事とはそういうものだと言われればその通りだろうが、
自分事として今の仕事を捉えることができていないし、かつてないほどテンションが下がっている。
就活していたころ社員との座談会なんかがあると、学生から社員への定番の質問として「仕事は楽しいですか?」的なものがあった。
聞かれて困るのは承知の上で聞いている。なんとなくサラリーマンという立場に暗い印象を抱きがちな学生としては、
希望は少しでも多い方がよい。
今その質問に社員側として正直に答えるならば、「楽しいこともあるが、仕事でしか味わえない楽しさはほとんどない」とかになるだろう。
楽しさというより達成感に近いが、確かに同僚や関係者と目的を共有し、納期までに仕事を仕上げることができたときはうれしい。
うれしいがそれは今の仕事でなくては味わえないものではない。

結局のところ今こうして会社員として働いている自分のメリットは、普通に生きていたら友人知人にはならないタイプの人と
交われることと、業務を通じて人間力を養える気がするからだ。自分の成長のためである。
自分はもう25歳だが、世間的にはまだ25歳で若者の部類だし、この時期に集団に身を投じて人に揉まれなかった場合
将来苦労するのは目に見えている。それなりに大企業でもあるし、ここを逃すと、下手すると一生大きな組織の一員として
自分を高める機会に恵まれないという恐怖が勝っている。簡単に手放せる環境ではない。まぁ何かあったらさっさと逃げ出しそうだけど・・・

とはいえ、このままずっと会社員を続ける未来はどうも見えない。どこかのタイミングで離脱するのは確実だろう。
少なくとも今の会社での出世には全く興味が持てない。しかし先が見えないというのはモチベーション的に
かなり深刻な問題ではなかろうか。
生きるためには稼がなくてはならない。稼ぐ手段は必要だ。その手段を今の会社で身に着けることができれば一番いい。
仕事をして稼ぐとして、自分がもっとも心地よく働ける環境を求め続ける意識は必要な気がする。


これはなんだろうなー
ひとつはやっぱり向き不向きでいえば向いてない仕事ってことだろう。
もうひとつは仕事の知識も回し方もまだまだ未熟で、神髄を知らないからと思われる。
自主的に仕事に対して「こうしたい」という欲なり希望なりが湧くようになったのも本当にここ最近のことだ。
やらされているうちは絶対に自分事になどならないだろう。
直属の上司はとてもできる人だが、上司の判断や考えに隙がなくて自分の意見を差し込む余地があまりないのも
問題な気がする。議論できるレベルにはまだまだ至らない。


久々に書いて疲れた。
以上。

俺の上司はニューヨーク

仕事とは自分を都市化することだなぁと思う。よく整備された都市には人も情報も仕事もたくさん集まり、さらに大きく発展してゆく。道は綺麗に塗装され広く長く伸びてゆき、ほかの都市と結びつく。

 

新人はまだ何もない田舎町か新興都市。あるいは都市の一区画。大きな街の近くでその恩恵を受けながら、行政を整え、人も通れない砂利道獣道を平らにならし、押し広げようとてんやわんや。道とはつまり確かな知識と人間関係。何度も繰り返し整備し、数を増やし、人の行き来が増えていけば、徐々に利用する人も増えてくる。

 

便利で大きな都市には人も情報も集中する。仕事ができる人ほど多くの業務が舞い込むのは、そこに持っていけば大体のことは解決の糸口がつかめるし、少なくともなんらかの情報が得られるから。ここまで大きくなるのも考えものだな、と思う都市もたまに見かける。まぁ自分の上司がそれなんだけど。

 

田舎で多少不便でも、そこにしかない何かを提供できるなら便利さだけが価値あるものとは限らない。が、意外とこれは目指すのが難しい。イメージ的には釣りバカ日誌のハマちゃんとか、部署の可愛い女の子。そこにいるだけでとりあえずよし、みたいな。単純な都市化ならある程度工程が見えていて、楽といえば楽なのだ。

 

興味のない人間には興味がない

葬式に出るのは人生で三度目だった。一度目は幼稚園の先生、二度目は母方の祖父。そして今回は父方の祖父が亡くなった。祖父の死はうすうす覚悟していた。その一カ月ほど前、一時は危篤状態となるもなんとか意識を取り戻し、こちらの言葉に応答できるまでになっていた。しかしベッドで首を起こすこともできずにいるその姿を見て、なんの予感もしなかったといえるほど、無邪気に回復を信じることはできなかった。

葬式はごく少数の身内のみで、ひっそりと行われた。俺は葬式というものについて考えていた。数は少ないとはいえ、出席した人はみな多かれ少なかれ、自分の生活の合間を縫って、あるいは少々の無理をして、そこへ駆けつけていた。葬式とはそういうものだと言われればそうかもしれない。俺の会社も規定にのっとり、三日間の忌引き休暇をくれた。葬式とはそういうものだし、たとえ忌引きがもらえずとも、俺は出席しただろう。が、一方で感じたのは、優先すべきは生きている者の都合だろうということだ。もしその日が大事な試験の日か、あるいは就職の最終面接に臨む日だったとしたら、俺は出席しただろうか?おそらく答えはNOだ。生きている者がその生活を犠牲にしてまで出向くものではないと思う。そうであってはならない。
そうあってほしくない。

「おまえ人間に興味ないよなー」と、いわれた。図星だった。こいつには見抜かれているだろうと思っていたが、まぁ他の人もわざわざ言葉にしないだけで、言ってはこないだけで、見抜かれているのだろう。そう思えばこうしてはっきり本人を前にして口にしてくれるというのは、どれほど優しいことか。「おまえは冷たい人間だ」などと俺を評しているのではなく(その意も全く含まれていなかったとは言い切れないが)、ただ事実を述べているだけであるように見えた。とはいえ、「人間に興味がない」とはいささか言い過ぎだろう。「興味のない人間には興味がない」が正しい。・・・やはり俺は冷たい人間かもしれない。
小学生の頃は、一日中草むらで虫取りをしていても全く飽きなかった。人間にも、昆虫と同じくらい興味が持てればいいのにと思う。

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