「記憶力がいい人」ではなく「理解力が優れた人」

物覚えが良かったり暗記が得意な人を指して、よく「あの人は記憶力がいい」なんて言い方をすることがありますよね。僕も今までそう言っていたんですが、最近思うのは、僕らが普段「記憶力」と呼んでいるものは多くの場合「理解力」の差に過ぎないということ。言い方を変えれば、「記憶力がいい人」なんてほとんどいない、ということです。


では「理解力」とは何か。僕は「因果関係の回路を作ること」だと思ってます。


例えば数学の公式を暗記するとき、どうするのが一番覚えが早く、定着しやすいでしょう。三角関数の公式表を目の前にして「sineαcosα±・・・」とひたすら唱えるか、それともその公式を使った練習問題を繰り返し解いてみるか。効果は明らかですよね。もっと言えば公式の成り立ちを一つの証明問題として解いておくと、応用もきくし忘れにくい。さらに類似問題を解いて四方八方に回路を作れば、もう忘れないでしょう。


単純な用語暗記の場合はどうか。例えば何か歴史上の出来事の名前を覚えたいとき、まずその用語そのものを覚えようとするのは悪手です。当たり前ですが、最初にやるべきはその出来事の内容と、因果関係をつかむこと。誰がいつどこでなぜ何をどうしたか、「用語を覚えること」は後回しにして理解してしまう。理解してしまえば、あとは覚えるべき用語をぽんっと当てはめてやるだけでいい。それだけですんなり覚えられます。

人物名であれば、まずはその人がどんな人だったか、何をした人なのか、どんな思想の人だったのかを知る。


ここで「本当にその出来事の因果関係をつかめているか」を確かめたければ、誰かに(いなければ独り言で)口で説明してあげるのが一番わかりやすい。理解したつもりでも、いざ人に説明しようとすると意外と上手くいかないものです。逆に言うと淀みなくすらすら説明できるなら、それはもう完全に理解できた、綺麗で通りやすい「回路」が完成した、と考えていいと思います。


一度でも「因果関係の回路」を構築できれば、仮にそれが長い間使われなくなっていても、いざ使わなければならなくなったときに修復が容易です。回路自体はもうできているから、あとはかぶった埃を払って、でこぼこを軽く塗装してあげればいい。


「映像記憶」をご存知でしょうか。目にしたものを一つの「映像」として、写真のように記憶できてしまう能力のことです。*1僕はもちろん脳科学の専門家でもなんでもないし、間違っている可能性はあるんですが、僕の考える「記憶力(理解力)」はこれとは全く別物だと思ってます。ですが一般に「記憶力がいい」なんて言葉を使うとき、どちらかといえば「理解力」よりこちらの「映像記憶」に近いイメージで使っている人も多いんじゃないでしょうか。同じように何かを覚えても、その定着度合いが全然違う人がいる。その人はまるで物事を「映像」のように記憶してしまえるのではないか、という勘違いです。こんな能力を持ってる人なんて、ほんの一部。



では因果関係などなく、単純に覚えるだけの時にはどうするか。例えば誰かに電話番号を聞いて、ぱぱっと覚えてしまいたいとき。因果関係もくそもないですよね。僕はこういうときどうするかというと、勝手に因果関係を作っちゃいます。道がなければ作ればいい。別に新しくて独創的な方法とかでは全くなくて、勝手に語呂でもなんでも作っちゃうんです。いい国作ろう鎌倉幕府よろしく、無味乾燥な数字の羅列に物語をもたせるのです。インパクトがあるほど覚えやすい(エロネタとか)。そこでの創作能力は日々の鍛練ですけどね。やってれば上手くなります。理屈と膏薬はどこへでもつく。

受験生の時は古典単語をゴロで覚えようみたいな単語帳を使ってましたが、とても理にかなってると思います。もちろん自分で作るのが一番なんだけど時間はかかるし、この本の語呂はどれもかなり秀逸だったのでずいぶんお世話になりました。エロネタ豊富です。

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むかし『円周率の暗記に挑戦する小学生』みたいなテレビ番組で見たんですが、その子はどうしてたかっていうと、数字ひとつひとつに「絵柄」や「キャラクター」をもたせてました。例えば1と言う数字に「猫」、2と言う数字に「犬」を当てはめれば、“1 2”という並びに「猫が犬に出会った」みたいな物語が生まれます。これはかなり単純化してますが、要はこういうかんじで永遠と繰り返すんです。まさに「因果関係の回路」をつくることだと思います。実際にその子は何百桁と唱えていたし、何より重要なのは、その子は別に「記憶力」がよかったからそれができたのではない、ということです。「因果関係の回路作り」が上手かっただけです。


何か覚えるとき、「ひたすら反復練習すべし」みたいなマッチョな方法論があります。確かに反復練習ってすごく大事だと思うんですけど、大前提を忘れちゃいけないなと思うんです。それはきちんと「因果関係の回路」と作って、「理解」した上で反復すること。何も考えずひたすら英単語をノートに書き殴るだけではだめで、できればその原義を調べたり単語を分解したり、使われ方を確認して、根本部分を理解しておく。“pro”や“un”などの接頭語にはそれ自体に意味があるし、それを知っておくだけで他の単語にも応用が利いて、「回路」ができる。本当の「反復練習」とは、因果関係の回路を何度も何度もなぞること。ただの反復練習とそれとでは、効率が圧倒的に違うのです。


歴史の用語や漢字は忘れてしまうのに、好きな漫画や映画のストーリーやセリフははっきり覚えてます。それは何度も繰り返し読んだり見たりしたってこともあるけれど、それってその時だけ「記憶力」が上がったんじゃなくて、単純に「理解」したからだと思います。「因果関係の回路」がしっかりつくれている、話そうと思えばいくらでも説明できるくらいに綺麗な回路ができているってだけの話で、記憶「能力」は関係ない。

少し余談ですが、記憶と言っても「体が勝手に覚えている」みたいなものもありますよね。僕はあれも根本の部分は同じだと思っていて、要は身体が「回路」を作ってくれるからだと思います。いったん乗り方を覚えたらずっと自転車に乗れるのも、小さいころ水泳を習っていれば大人になっても泳げることなんかも、体の中に回路ができているからだろうなと思います。


以上をまとめると

・世に言う「記憶力のよしあし」とは多くの場合「理解力」の差である
・「理解力」とは「物事の因果関係をつかむこと」「因果関係の回路を作ること」である
・「因果関係の回路」は、広くたくさんあるほど頑丈になる
・理解したかどうかの基準は「人によどみなく説明できるかどうか」
・いったん回路ができれば後で修復が容易(その場限りの記憶になりにくい)
・「因果関係」がなければ自分でつくる
・反復練習は「理解」してこそ効果がでる

何かを記憶したいとき、「記憶すること」に集中しても意味はありません。一見遠回りのように見えてもきちんと「因果関係を理解する」「回路を作る」ことを意識する方が定着もしやすい。世に言う「記憶力がいい人」は理解力が優れている人です。同じものを見ていても、背後にある因果関係への洞察と理解が優れているのです。「理解力」に差がつくとすれば、その「理解」の深さやスピード、瞬発力で差が出てくるんだと思います。そこにはある意味テクニック的な部分もあるから、「記憶力がいい人は(何に対しても)記憶力がいい」という、当たり前の状況が生まれるんじゃないでしょうか。「記憶力がいい人」になりたいなら、地道に「因果関係の回路」をつくって理解する力を鍛えるべきなのです。

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