「好敵手」の条件 

映画『ラッシュ/プライドと友情』を観ました。


めっちゃよかった!とにかくアツい。去年の9月からずっと楽しみにしてました。


実話をもとに天才F1レーサー二人の激闘を描いたこの映画。天才的なセンスと情熱をもつジェームズ・ハントと“走るコンピューター”と称された頭脳派レーサー、ニキ・ラウダが、1976年の世界チャンピオンを賭け、スピード感溢れる壮絶なレースを繰り広げる。ふるえるぞハート!燃え尽きるほどヒート!


F1のレースはいつ事故を起こしても不思議ではない文字通りの「死闘」。一回一回のレースに命を懸けて勝負している。その中でも際立って観客を魅了し、40年近く経った今でも語り継がれるような戦いには、やはり「好敵手」の存在が欠かせなかった。それもただの「敵手」ではない、「好敵手」とまでいえる存在ってどんな人なんでしょう?実力が拮抗していること、目指すものが同じであることは前提としてなきゃいけないけれど、やっぱりその二人が色んな意味で「違うこと」が他と好敵手を分ける境目なんじゃないかなと思う。


僕がライバルだとか好敵手だとかでぱっと思い浮かぶのは、やっぱり少年漫画。ドラゴンボールの悟空とベジータしかり、デスノートのライトとLしかり(もっと適当な例があるかもしらんけど出てこない)。悟空もベジータも「強くなること」という共通した目的があり、そのためにしのぎを削ってそれを追求するけれど、二人の価値観や考え方はかなり違う。ライトもLも、「先に相手を殺す」という目的は共通しているが、正義に対する考え方が根本的に違う。


この映画『ラッシュ』の主人公たちはどうかと言えば、同じF1レーサーでありながら、ハントとラウダは生き方がまるで違うんですよね。ハントには「今その瞬間を全力で、自由に!」みたいな情熱があるけれど、ラウダはあくまで仕事や勝負と自分の生活・家族を切り離して考える。僕はどっちかといえばラウダに親近感を持った。デッド・オア・アライブ、100か0かみたいなリスキーな人生はちょっと遠慮したい。憧れはある。


映画の割と最初の方に、ハントの「今日が人生最後の日だと思って生きる」だったかな、彼の生き方をそのまま体現したようなセリフがある。一方のラウダは、家族ができたことを喜びながらも「幸せは敵だ。失うのが怖くなる」と。


そんな二人だけど、レースとなれば対抗心むき出しで火花を散らし、また勝負を重ねるごとに相手を認め合っていく。たぶんどこまで行っても、相手の価値観に迎合してはダメなんだと思う。もしどちらかが折れて自分の生き方を見失ってしまうと、そこで終わり。それはただの「ともだち」だろう。悟空とベジータは出会った最初がピークで、だんだんライバルっぽくなくなってしまった気がする。


もちろんそれは実力伯仲であればこそだが、あくまで自分の生き方を貫いて、その上で「ああいう生き方もあるのだ」と認めることで初めて好敵手足り得るんではないか。自分の考えが唯一絶対の価値観でないことを、勝負を通して理解させてくれる相手が好敵手なんじゃないかと思う。

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