興味のない人間には興味がない

葬式に出るのは人生で三度目だった。一度目は幼稚園の先生、二度目は母方の祖父。そして今回は父方の祖父が亡くなった。祖父の死はうすうす覚悟していた。その一カ月ほど前、一時は危篤状態となるもなんとか意識を取り戻し、こちらの言葉に応答できるまでになっていた。しかしベッドで首を起こすこともできずにいるその姿を見て、なんの予感もしなかったといえるほど、無邪気に回復を信じることはできなかった。

葬式はごく少数の身内のみで、ひっそりと行われた。俺は葬式というものについて考えていた。数は少ないとはいえ、出席した人はみな多かれ少なかれ、自分の生活の合間を縫って、あるいは少々の無理をして、そこへ駆けつけていた。葬式とはそういうものだと言われればそうかもしれない。俺の会社も規定にのっとり、三日間の忌引き休暇をくれた。葬式とはそういうものだし、たとえ忌引きがもらえずとも、俺は出席しただろう。が、一方で感じたのは、優先すべきは生きている者の都合だろうということだ。もしその日が大事な試験の日か、あるいは就職の最終面接に臨む日だったとしたら、俺は出席しただろうか?おそらく答えはNOだ。生きている者がその生活を犠牲にしてまで出向くものではないと思う。そうであってはならない。
そうあってほしくない。

「おまえ人間に興味ないよなー」と、いわれた。図星だった。こいつには見抜かれているだろうと思っていたが、まぁ他の人もわざわざ言葉にしないだけで、言ってはこないだけで、見抜かれているのだろう。そう思えばこうしてはっきり本人を前にして口にしてくれるというのは、どれほど優しいことか。「おまえは冷たい人間だ」などと俺を評しているのではなく(その意も全く含まれていなかったとは言い切れないが)、ただ事実を述べているだけであるように見えた。とはいえ、「人間に興味がない」とはいささか言い過ぎだろう。「興味のない人間には興味がない」が正しい。・・・やはり俺は冷たい人間かもしれない。
小学生の頃は、一日中草むらで虫取りをしていても全く飽きなかった。人間にも、昆虫と同じくらい興味が持てればいいのにと思う。

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