意識高い系が気持ち悪いのは「憧れ」=「自身の欲求」だと勘違いしてるから


いわゆる意識高い系の人たちを見てて感じる違和感とか嫌悪感って、その人たちが自分の欲しいものを自分自身ちゃんと理解できてない(あるいは、欲しいもの自体がない)のに、欲しいフリをしてるのが見え見えだからだと思う。憧れ=自分の欲しいもの、やりたいことだと勘違いしてる。


ほんとはそれほどやりたいと思ってないこと、元々その人に動機も欲求もないことに手を出して、さも「興味あります」「尽力してます」って顔をしてるから気持ち悪い。「これが俺の欲求です、叶えたいことです」と言われて、それを裏付ける動機や経験に納得感があればむしろ応援したくなるのだけど、そのへんがあやふやだったりテンプレな理由(社会貢献したいから、みたいな)だったりすると「なんでわざわざ君がそれをする必要があるの?ほんとにそれがしたいことなの?」って疑問が当然出てくる。


またさらに気持ち悪いのは、そういう人たちがなんだかある種の変な暗示にかかってるようにも見えること。「自分のやりたいことはこれだ」って思いこもうとしてるように感じる。無理してませんか?って聞きたくなる。下手にコミュ力やバイタリティある人だとそういう「無理してる感」も誤魔化せちゃうのかもしれないけど。ほんとの意味で意識の高い人は根底に自分の欲求があって、それに基づいた行動がある。地に足ついてるかどうかの違いはそこにあるような気がする。


中身が空っぽだから、その穴を埋めようとして、手近で周りの評判も良さそうな「憧れ」に飛びつき、それが自分の欲しいものだと思い込む。「何者」かになりたいけれど特にやりたいことも欲しいものもない、だからとりあえず「何者」っぽい振る舞いで自分を満たす。しょせんは“ごっこ”だと自覚があればいいけれど、なければ自分を見失う。


たぶん大切なのは、自分の空っぽさを認めること。そしてほんとに欲しいもの、やりたいことは何か注意深く見定めてあげること。情報だけは多い世の中だから、普段から自分の気持ちをきちんと見定めようって意識がないと、意外と難しい。

もちろん、ほんとに空っぽな人なんてそういないだろうし、もし空っぽでも、別に恥ずかしいことじゃない。10代や20代前半でそれがしっかり定まってる人の方がむしろ珍しい。たくさん本読んだり人と会ったりしてだんだん自分でも理解できてくるものだと思う。

何者(新潮文庫)

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