宮崎駿はやっぱり凄すぎた:岡田斗司夫『「風立ちぬ」を語る』

読みました。岡田斗司夫ジブリ映画『風立ちぬ』解釈本。
内容的には『風立ちぬ』だけに限らず、『カリオストロの城』や『アリエッティ』なんかも引用しつつ「宮崎駿とはどんなアニメ作家だったのか?」を語る内容になっているのだけど、その考察や分析がとても面白かった。

いちおう、本書の内容は8割がたニコ動の番組内で語ったものをまとめたものになってるので、まずはそっちを聴いてみるとよさそう。それが面白いとかんじたならば、文章として丁寧にまとまっている新書版を読むといろいろすっきり理解できるんではないかと思う。

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アニメ監督・宮崎駿の天才性

ジブリ映画は僕自身大好きだ。トトロに始まってラピュタもののけ姫千と千尋あたりは子供の頃から何度となく見ているし、今でもたまに見返すとやっぱり面白くて「すげえなぁ」となる。しかし何がどうすごいのかと聞かれると、はっきり言語化するのは意外と難しい。ひとつ言えるのは、宮崎アニメでは登場人物がみな生き生きとしていて、一人ひとりが本当に実在する人間かのような存在感を放っていることだと思う。しかし「なぜ生き生きしているように見えるのか」まではわからない。子供の頃はそれでもよかったし、むしろそんな難しいことを考えさせない、不自然さを感じさせないのがまた凄さと言えば凄さなんだけど、僕はここ最近、そうした作品を面白くみせている背景に断然興味が向いている。本書は宮崎駿がアニメ監督として天才と呼ばれる由縁、具体的にはアニメーション技術や演出手法、思想にいたるまで読み解いており、そのメカニズムを知ることでさらに作品を楽しめるような作りになっている。


宮崎駿のアニメーション技術のすごさでいえば、日本中の人が感覚的に知っていると思う。それが一番顕著なのがおそらく空を飛ぶシーンで、ラピュタにしろ紅の豚にしろ千と千尋にしろ、その臨場感は圧倒的だ。しかしその他の、一見何でもないシーン、一コマひとコマに、観る人の目を捉えて離さないようなレイアウトや演出が凝らされているらしい。たとえば『ルパン三世 カリオストロの城』の冒頭、OPが流れる数分間であれば、使用する原画、セルの枚数を最小限にとどめつつも、作品のテーマは何なのかや、ルパンたちの人柄、考え方、現在の状況を言葉を使わずして雄弁に語る。このへんは実際に映画や本書を読みつつして欲しいんだけど、実際に言われてみると「なるほど!」と腑に落ちるような様々な演出がほどこされていて、感心してしまう。アニメに長年かかわってきた岡田斗司夫だからこその分析なんだろう。

風立ちぬ』はなぜ最高傑作なのか

岡田斗司夫は『風立ちぬ』を宮崎作品の最高傑作と評している。100点満点でいえば98点らしい。ここまで高いと逆に残りの2点が気になってくる(たぶん「子供には全く理解できないから」とかなんだろう)がまぁいいとして、なぜ『ナウシカ』でも『ラピュタ』でも『千と千尋』でもなく『風立ちぬ』なのか。

本書で言われていることをやや乱暴にまとめれば、これまでアニメを作ってきた根本的な理念である「子供のためのアニメ」という枠を取り払って、完全に自分のやりたかったテーマ・してみたかった表現に打ちこんだかららしい。厨ニっぽくいえば「巨大すぎる我が封印されし力を今解放せしめん」というかんじか。要は本気出したのである。70歳こえてやっと本気出すのかよと突っ込みたい気もする。

ただし本気出したがゆえの作家・宮崎駿の表現や演出というのがもはや究極的なレベルに達していて、素人にはなかなか読み解けないほどになっている。トマス・マンの『魔の山』やゲーテの『ファウスト』、ダンテの『神曲』など、過去の文学作品を要所要所で引用しオマージュしメタファーとして用いつつ作家としてテーマや主張を映画に込めている。

中でも驚いたのは、『風立ちぬ』という作品がレイヤー構造になっているらしいこと。もっとも表面的な層では「菜穂子と二郎の純愛」をテーマにした切なくも純粋な作品であり、より深いレイヤーでは「美しい者にしか興味のない非人間的な男とそれを知りつつも愛を貫いた女」の美しくも残酷すぎる映画となっている。「非人間的な」と書いたのは、二郎は一見、頭が良くまじめな技術者にみえるけれども、実際は人の気持ちをうまく理解できない、そして「美しいもの」にしか興味を抱かない人物だから。飛行機に魅せられたのは「美しいから」だし、菜穂子に恋をしたのも「美しいから」にすぎない。つまり美しくなくなればとたんに興味を失うし、ましてや戦争をしている世の中のことなんて美しくもなんともないので全く関心がない。おそらく深く付き合うようになればなるほど、「人として、ちょっとどうなの?」という部分が見えてきてしまう人間なのだ。そうした二郎の非人間性を、監督は前に出しすぎず、しかし細かなシーンで子細に描写している。もちろんこのへんは著者の解釈に依る部分も大きいので正しいかどうかは分からないが、少なくともひとつひとつのシーンを拾って繋げ二郎がどんな人格の持ち主なのかまでもっていく考察はそれなりに納得のいくものになっている。


本書の感想は以上。ただ、ひとつ気になったのは、僕ですら読んでいて気がつくほどの事実誤認がいくつかあったこと。たとえば『アリエッティ』の主人公は話の冒頭で「あの夏は~」とナレーションで話しており物語が数年後時点での回想であるのを示していると思うのだけど、著者は主人公は死んでしまったと言いきっている。これは正直、解釈どうこうではなく単なる誤解だろう。そういった認識の粗さというか、観方として大ざっぱすぎやしないかみたいなことを感じて、少し気になった。

とはいえ解釈や考察の斬新さや、アニメ制作の手法を示しつつ演出の効果を解説する部分はとても面白かった。一読の価値はあると思います。

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