日本で「血液型占い」が流行るワケ

今は世間的なブームも少し落ち着いた感があるけれど、日本人はいわゆる「血液型占い」が好きだとよく言われる。なぜだろうか。おそらく根本にある心理として「他人のことは分からない」という不安感があるからだと思う。


人は基本的に「わかりやすい人」が好きだ。明るくて誰にでも分け隔てなく接する、ウラオモテのない(ように見える)人は話していて安心するし、学校や職場でもムードメーカーだったり、信頼も厚かったりする。初対面や、知り合ってまだ間もない頃ならなおさらその傾向は強い。とはいえ、日々出会う誰もがこういった「わかりやすい人」ではない。無口だったり挙動不審っぽかったりと、雰囲気や言動から何を考えてるのかイマイチ読み取れない人だっている。そういう人を前にするとどうしても不安になる。「この人何考えてんのかな」「ほんとに信頼できるのかな」とこちらは考える。


そこで血液型占いだ。相手が人間であれば、A・B・O・ABの4つの型のいずれかに必ず当てはまる。大ざっぱではあるけれど、それぞれが特徴と傾向を持つと思われている血液型は、相手を「分かりやすくする」方法としてシンプルかつお手軽だ。重要なのは「その分類や傾向の中身がほんとうに正しいか」ということが、実はほとんど問題ではないということだ。血液型占いとは相手を「分かった気になるため」「安心するため」にやっているのであって、分類の正確さなんて二の次なのである。初対面の者同士が顔を合わせることの多い合コンなどの場で血液型占いが鉄板なのは、ひとまず相手を「分かった気」になって安心し、心理的な距離を縮める(=仲良くなる)手法としてきわめてお手軽だからだと思う。また血液型占いが主に女性の間で人気(?)なのも、男性に比べ集団行動を好む傾向があることや、体力で劣るぶん防衛本能として、男よりも相手を見極める必要性が切迫しているからだろう。


ではなぜ、日本でこれほど血液型占いが流行るのか考える。その理由の一つ――というか大前提が――日本では4つの血液型がある程度バランスよく分かれていることだろう。どれかひとつに大きく偏ってしまうと分類そのものが意味をなさなくなるからだ。次に、日本人の国民性。言うまでもなく日本は島国である。四方を海に囲まれた、小さく限られた国土しかない日本は、昔から外への脱出が難しかった。つまりそこに住んでいる者同士で仲良くやっていくしかない。にもかかわらず、なのか、だからこそ、なのか分からないけれど、日本人は例えば欧米の人に比べあまり感情表現が豊かでない=「分かりにくい」人が多いのである。だから日本人は躍起になって相手を理解したいと思うのだけど、これは正面から取り組もうとするほど大変だし、難しいことだ。よって「人間であれば誰でも当てはめ可能」で、かつ「お手軽」な血液型占いを用いることで、とりあえず安心感だけでも・・・という心理が働くんだと思う。まがりなりにも「血液型」という、科学チックな部分があるのも、その手法を用いる自分へのエクスキューズとしては悪くない。


何年か前にベストセラーになった血液型本がある。僕は当時中学生だったけど、↓の本を筆頭に血液型本がたくさん出て世間的にもブームになっていたと思う。

B型自分の説明書

B型自分の説明書

しかしこの本、タイトルが面白い。『B型自分の説明書』とある。なんのことはない、みんな自分のことさえ「分からない」し「不安」なのだ。“自分探しの旅”という言葉をよく目にするようになったのはいつからだろう。自分のことさえ把握できないのに、他人のことなんて分かるはずがない。言ってしまえば、世間で占いと名のつくものはほとんど、自分や誰かを「分かった気」になるために存在するのだ。しかし中でも血液型占いがここまで普及したのは、誰もがたった4つの型いずれかに当てはまるというシンプルさ、科学的根拠があるのかないのか微妙なラインの、妙な信頼感のなせるワザなんだろうと推測する。

ちなみに、僕はB型である。

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