Q.友達が多いほうですか?A.はい、(ネットには)多いです。

就活してると「性格検査」なるものをよく受けさせられるんだけれども、これがまぁ~メンドクサイったらない。長いし、何度も似たようなことしつこく聞いてくるし、くだらない。必要なんだと言われたって知ったこっちゃない。そもそも自分が信用してないモノを、同じようなのを繰り返しやらされるってのが辛い。国語や数学のほうが100倍マシ。


というのは愚痴で(ついでにタイトルもふざけてますが)、本題は「知り合い」とか「友達」の定義ってインターネットが普及してからかなり変わってきてるんだろうな、という話。友達はまだしも、“知り合い”って人によってバラつきがかなり大きそう。

普段あまりネットに触れてない人にとっては、「知り合い」はまず会ったことがあって、次に何度かは話したことがあって、本名その他の、基本的な情報くらいは押さえてる人だと思う。でも一日のうちネットの比重が大きければ、ツイッターやブログでやり取りのある人も「知り合い」に入りそうだ。only3months.hatenablog.com

たとえば僕はブログを書いているけれども、多くはない(と思う)にせよけっこうパーソナルな、個人的なことも書いていたりする。ちょっとした悩みとか、好きな音楽とか、そのまんま自分自身の性格についてだとかにも触れている。それをもし読んだ人がいたとして、ただ読んだだけならそれは本やテレビを通して一方的にその人を「知った」に過ぎない。しかし、ブログやSNSを通して相手の“人格”を僕のほうも知っていて、その人の書くブログなんかを読み「なるほど、この人はこんな性格なのかな」みたいなことがイメージできていれば、それは「知り合い」ってことにならないだろうか?

そもそも対人関係における「知る」とはなんなのか。はっきりした定義なんてないが、リアルの場であれば少なくとも本名と、顔を知っている・覚えていることが前提だと思う。だが逆にいえば、それだけでいいのだ。ネットであれば、互いに人格を認識している程度では「知り合い」と呼びにくい。認識する、ということのハードルが、リアルの場より圧倒的に低いからだ。でも何度か文章でやり取りを重ね、時に冗談を言い合い、時になにかについて熱く議論したりして、数か月・数年とそんな関係が途切れなければ、ある程度お互い相手のパーソナルな部分を知るようになる。それが嘘かホントかわからないけれど、経験上なにかミッション的なものが課されたりしてない限り――つまりふつうにネットで遊んでいるような場合において、わざわざ自分の性格や好き嫌い程度のこと、隠す必要を感じない。し、隠さず好き勝手やってたほうが楽しいので、多くの人がそうしてると思う。ヘタしたらリアルの知り合い以上に、自分のことを深く知る人もいるはずだ。

ネットで得られる相手の情報は「知り合った」と言えるほど確かでもなく、表面的なものにすぎないだろうか。たぶんほとんどの場合、その通りだと思う。僕自身がそうだし、誰が目にするかわからない以上、フィルターにかけるべきことは多い。でもリアルの場だって、それは大して変わらない。結局はその人のことを「どの側面から」知っているか、という視点の違いにすぎないと思う。


以前、オフ会に誘われて、行ってみたことがある。そこに来たのは、普段こうしてブログを書いて、考えたことや日々の雑感なんかを綴ってる人がほとんどだった。HNはあるものの、顔も本名も知らない。でも、なんとなくこういう性格なんだろうな、あとあれに関してはこういう考え方で好みはこうで~といったイメージは浮かぶ。リアルの知り合いでいえばあの人に近そうだ、みたいなことも考える。相手はブログその他を見て僕のこともある程度知っているし、というかそこそこ把握してなきゃオフ会に呼んでもらえないだろうし、僕もこれといって大きな嘘はついてないし~などと考える。これってもう、お互い「知り合って」いることにならないだろうか。よくわからんけどたぶん知り合ってるんだろう。ヘンな気分だな。と思いつつドキドキしながら現地に行ってみた。

結果、事前のイメージとの合致率はまずまずだったと思う。一人だけ大外れだったけど、93%くらい想像通りの人とかもいた。外れた人にしても、リアルの自分と真逆を演じようとしてそうなったわけではないし、もっと僕がきめ細かに読み取ればちゃんとイメージできたろう。なにより、ネットでのやりとりや書いた内容に大きな嘘はなさそうなのであるから、僕はちゃんと相手のことを「知って」はいたという事実は変わらない。ちなみに相手が僕をどう思ったかはよく知らない。


つまりまとめると、それがネットであっても、ある程度の期間、ある程度の情報量を読みやり取りした者同士なら「知り合い」と呼ぶには充分ではないか、ということだ。またこれがもしスカイプ等で声や顔も認識するようになれば、実際のリアルの場で会ったことがなくても「知り合い」と呼ぶにあまり抵抗はないだろう。「知り合い」あるいは「友達」という関係性において、インターネットとリアルの境界線はますます曖昧になってきている。だからどうした、と言われてもとくに提言することなんてないのだけれど。

*追記*


どこかで載せるつもりだったけど、わすれちゃってたツイート。このへんのごたごたも、ネット(SNS)の特性として知り合いとそうじゃない人の区別があいまいになっちゃう人とかいるんじゃないかなぁと思ったので。ここまでじゃなくとも、少なからず僕も忘れそうになることがある。



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