「不安」や「不満」なんてたぶん一生消えてくれない

ポジティブな人に憧れる。僕はどっちかというとネガティブ側の人間なので、いつも機嫌よく前向きな人とか見てると「不安とかなさそうでいいな~」って、ちょっと羨ましくなる。


もちろんそう見える人にも僕には分からない不安や心配事があって、人知れず悩んでるかも知れないってのは、頭ではわかる。でも、不安を抱えていながらそれでも他人には「前向き」とか「いつもにこにこしてる」みたいなポジティブな印象を与えられるってところに、その人の強さみたいなものを感じる。自然そういう人の傍にいるとこっちも気持ちよく居られるから、人が集まってくる。僕はそういう心のモヤモヤがけっこうダイレクトに顔に出ちゃうタイプである。


とはいっても、別に僕は24時間365日元気で明るい「ポジティブバカ」になりたいわけじゃない。そんなのどう考えたって自分じゃないし、無理に変わろうとしたって3日と持たないだろう。それにネガティブさがある種の思慮深さにつながることもある。ってことはおそらく、「ポジティブ」と「ネガティブ」の二項対立みたいな考え方から改めたほうがいいんだと思う。


不安や不満は生理現象なのかもなと最近は思う。四六時中とは言わずともふとした時に頭をもたげてくる感じや、現象の大きさによってはどうにもこうにも耐えきれなくなるのも似ている。でも生理現象ってことは、もはや存在自体気にする方が損だ。僕らはウンコやオシッコがしたくなったとき「ウンコしたい。なにゆえ?」とか「便意を打ち消す3つのテクニック」とか考えない。誰かそんなこと言ってても「食ったからだよ」「いいからさっさとトイレ行け」で終わりである。でも不安や不満にトイレはない。だからその不安を「解決できるモノ」と「考えてもどうにもならないモノ」とに冷静に仕分ける作業くらいは必要だ。


そもそも僕は不安や不満を消してしまいたいのではなくて、それのせいで「生きてて楽しいな」って気持ちが薄れてしまうのが嫌なのだ。しかし人が何か不安を抱えたとき、無理に「ポジティブであろう」とか「不安を消してしまいたい」とか考えるのは捉え方としてヘタくそだ。でも生きてる限り付き合っていくものなんだってことさえ受け入れられれば、「また、もよおしてきたな」くらいで、少しは気楽でいられるだろう。僕らが目にするあの人の「ポジティブさ」ってのは、こういうことなのかもしれない。

心配事の9割は起こらない (三笠書房 電子書籍)

心配事の9割は起こらない (三笠書房 電子書籍)

<