女の子はなぜ可愛いものが好きなのか

女の子は可愛いものが好きである。

もちろんみんなそうだとは言わないが、あまり年齢に関係なく「女の子は可愛いものが好き」ということ自体は、老若男女問わず共通認識としてほぼ同意してもらえると思う。

「カワイイは作れる」という言葉がある。しかしなぜわざわざ“作る”必要があるのか。「可愛い」ということが女の子にとって重要な価値観のひとつなのは間違いないが、それはいつどのようにしてつくられるのか、なぜつくられるのか。考えてみたい。


まずは本記事中で使用する「可愛い」の定義を決めよう。もちろんこの言葉の使用範囲からしてその全てを網羅する定義付けは不可能なので、ある程度範囲を絞ってみる。この文中で使う「可愛い」は、次の要素がひとつないし複数含まれるものだ。

①小さい②弱い③色鮮やか④ふわふわしている

ざっとこんなところだろうか。
例えば、うさぎやハムスターといった動物を目にしたとき、女の子はまず何と言うだろう。「かわいい!」と喜びの悲鳴を上げる確率はかなり高くはないだろうか。女の子が10人いたら、経験から言っても7~8人は予想通りの反応を示してくれると思う。

うさぎやハムスターは、上記の3要素のうち①、②、④に含まれるものだ。④が「ふわふわしている」などという、説明からしてふわふわした要素を挙げているが、要するに触った感触がふわふわしているもの、さわり心地が優しいものである。

他にも洋服や髪型、料理やスイーツ、ささいな日用品など挙げればきりがないが、そういったものに用いられるごくごく一般的な「可愛い」である。


しかしそもそも、女の子は可愛いものが「好き」なのだろうか。もちろん好きな人も多いだろうが、可愛いものに対するアンテナが男性より広いからと言って、それイコール好きとは限らない。しかたなくその支配的な「空気」に従っているだけの人も多いのかもしれない。

可愛いものを身に着けたりすることが、女の子にとってある程度社会的合理性があるはたしかだろう。女の子が「可愛いもの」に寄り添うという価値観は、主に女性間、あるいは男性にとってもかなりプライオリティの高いものだ。もちろん男にも可愛いもの好きな人はいるし、それでなくとも男性の多くは、好きか嫌いかと言われれば好きと答えるだろう。しかし男性には「可愛いもの・こと」に重きを置くということが、社会的な要請としてほぼ存在しない。最近は昔ほどではないのだろうが、基本的には“質実剛健”という言葉が示すようなことを求められる場合が多い。


とはいえ、女の子の多くがいやいや「可愛い」の価値観に従っていると考えるのも無理がある。人それぞれではあるが、たとえそれが「染められた」価値観だとしても、馴染んでしまったのならそれは当人たちのものだ。そもそも何にも染まらない無色透明な人間などいない。

古今東西、「美しい」という価値観が女性にとって支配的だったのは明らかだ。しかし「可愛い」はそれとはちょっとベクトルが違う気がする。その二つが重なる部分も多少あるだろうが、上記の4要素でいえば②や④が「美しい」というのは違うだろう。可愛さがある種の愛おしさに繋がる一方で、美しさは羨望、憧れといった意味合いが強い(もちろん「美しさ」の定義も古今東西まちまちだろうが)。


疲れてきた。結局答えは出なかったが、答えを探すなら「なぜ可愛いものが好きなのか」ではなく「なぜ可愛さを求めるのか(求められるのか)」の方が真理に近づけるのかもしれない。より根本的なことを詰めていくと、最後は「美」や「可愛さ」という要素が「人」を形作る一要素たる由縁にまで掘り下げなければいけないだろう。「女の子はなぜ可愛いものが好きなのか」という問いはすなわち、人間性の探求に他ならないのである。


可愛いって奥が深いね。

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