犯した「罪」を取り戻せ―漫画『罪と罰 ~A Falsified Romance』が面白かった。

罪と罰 1 (アクションコミックス)

罪と罰 1 (アクションコミックス)

漫画『罪と罰』を読みました。おもしろかった。

kindle版↓


罪と罰 A Falsified Romance』は、言わずと知れたドフトエフスキーの傑作「罪と罰」を現代日本を舞台にしてリメイクした作品。既に10巻まで完結していて、ドラマ化とかもされてるみたい。


僕は恥ずかしながら原作の「罪と罰」を読んだことがない。まぁタイトルと作者名くらいは高校の世界史で暗記させられたんで、どふとえふすきーっていうロシアの偉いおっさんが書いた作品なんだなーくらいの認識だった。

それで先日無性に漫画が読みたくなったので漫喫行ったところ、こいつを見つけて、「あの傑作(読んでない)の名を語るとは如何ほどのもんか」と読んでみたらめっちゃ引き込まれて、終電逃してしまった。


現代日本を舞台にしているとはいえ、大筋とテーマは原作に沿ったものらしい。なるほど、たしかに凄いと思わされる。
たとえばこの漫画の主人公だが、冷静に読めば狂っているとしか思えない。しかしその捻じ曲がった思考の奥に、人としての根源的な欲望、「善く生きること」への渇望が見て取れる。誰もが自分の人生を自分の手で掴み取りたいし、それが出来る、もしくは許される「証」が欲しい。

「生きる意味とは?」「人生の意味とは?」という疑問は誰もが一度は考えることだと思うが、時代や場所が変わっても、それは普遍的なものなのかもしれない。


主人公はその証や権利を、「ある行動」をもって「自分自身に」証明しようとする。

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罪と罰 1 (アクションコミックス)より


同じ漫画でも、『デスノート』の夜神月なんかは殺人を全く別物として捉えていたと思う。それは「世界平和」だったり「犯罪者のいない理想郷」だったりするんだけど、『罪と罰』の主人公・裁弥勒(タチ ミロク)は「自分に自分の人生を生きる資格があるか」を問う神聖な儀式と位置付ける。ここで言う「自分の人生を生きる資格」っていうのはたぶん、人生を自分自身の確固たる意志でもって動かす、動かせるということであり、人としての存在証明だ。それを証明することが、人としての尊厳が保たれることに繋がる。要するにミロクは、自分の人生が自分のものではないんじゃないか、他人に縛られたものなんじゃないかという恐れを抱いている。具体的には、ミロクの姉や母親だ。

そしてその証明の結果生まれた「罪」でさえも、彼自身にとってかけがえのない「証」となる。だから、奪われたり無くしたりしてはいけない――――


読んだ後しばらくは、重度の厨二病にかかってしまうだろう。だがそれがいい


罪と罰 A Falsified Romance(3枚組)DVD-BOX

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