『英語もできないノースキルの文系学生』に仕事がなくても当たりまえ

読みました。

いささか刺激的なタイトルだけどけっこう納得いく話が多かった。
タイトルのような学生像はまんま自分にも当てはまってしまうし、正直これを言われると何も言い返せない。実際僕は英語もできないし他に何があるでもなく、ノースキルの文系学生だ。

ただこのタイトルをそのまま受け止めれば「英語もできないノースキルの文系学生に社会で生きる(就職する)価値などない」と言われているようでもあり、学生としても反発したくなる。しかし読んでいくとわかるが、筆者が言いたいのはそういうことではない。

『英語もできないノースキル文系学生』に仕事がなくても当然な理由

一言でいってしまえば「時代が違う」ということだろう。

言うまでもなく世の中は今も不況で、学生にとって就活は厳しいものになっている。ここ1,2年は徐々に回復の兆しも見えてるらしいけど、ちょっと前の金融危機なんかを考えれば、明日どうなるかなんて誰にもわからない。

と言っても僕くらいの20前後の世代は生まれたときから不況だし、「好景気?そんなの教科書でしか知りません」ってのが実感で、何を今さらだ。不況前提で生きているから、安倍さんがいくらアベノミクスだ成長だと言ったって、まぁ頑張ってくださいな~くらいにしか思っていない。

少し前のエントリでも書いたけど、人口減少や少子高齢化の進行とともに日本の市場規模がどんどん小さくなっていく、ということくらいなら知っている。それが日本の企業、ひいてはそこで働く人・働こうとする人たちに少なからず影響を与えることも簡単に想像できる。

今までの日本では、いい大学に入って、安定した大企業に入社して、結婚して子供をつくって、家を買って、定年まで過ごす、というのが模範的なレールでした。みんながこれを目指して、一斉にスタートを切るわけです。その最初が受験戦争で、2回目の競争が就活です。特に就活は大事です。その後の40年の人生を決めてしまうのですから。どの企業に入れるか、入れないかで、生涯賃金をはじめ、そのひとの一生が左右されてしまう。
英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか??就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋

これが昔の標準だったが、今は違う。
つまりどういうことかというと、30年前の“スタンダード”が通用した時代にはみんな当たり前にサラリーマンができたけれど、今は違うんだ、というふうに、前提から考え方を変えなきゃいけない。

何にしてもそうだけど、期待値が大きすぎると「失敗」したときに目の前が真っ暗になってしまう。でも本当はそれは失敗でも何でもなくて、当然のことだ。「職なんてなくて当たりまえ」である。特にこれといってスキルもないならなおさら。


僕ら学生が「いい大学に入って、安定した大企業に入社して~」というモデルを頭に描いてしまうのは、親の影響が強いと思う。就職を考えたとき、自分に最も身近な大人・社会人を基準にするのは至極まっとうでもある。

上のような人生・生き方がひとつのスタンダードとして成立していたのは、たぶん僕の親世代くらいまでだ。実際僕の父は大学卒業と同時に今の会社に入り、ずっとそこに勤めている。結婚して家を買い、子供を育て、そしておそらくこのまま定年まで働くんだと思う。

そういう親を見ているからどうしても「自分もそうするのかな」というのを刷り込まれていた気がする。そりゃ僕だって「サラリーマンなんてつまんないぜ夢はでっかく海賊王!」とか思っていた時期もあったが、今は海賊王どころかサラリーマンですらなれるかどうか怪しい時代だ。

そのことにどこかで気付かないと、もともと高すぎるハードルを飛ぼうとして失敗し、結果自分を責めてしまう。遊んでいても、ノースキルでも難なく仕事があった時代はたしかにあった。しかし今もそれが続いているというのは間違いである、ということ。


これ、一見厳しいようだけど、高すぎるハードルと期待値を下げれば、心理的にはぐっと軽くなるんじゃないかと思う。


実際数字的にも、今の就活がどれほど「無理ゲー」かがよくわかる。

①:日本の会社の従業員数 4000万人
②:日本の上場企業の従業員数 618万人
②/① 15.45%

*1
上記のとおり、日本の上場企業の2012年の全従業員数は618万人、日本の会社に勤める従業員は4000万人くらいらしい。比率にして15%ほどがいわゆる大企業に就職できることになるが、10人いて3人もいない小さなパイを取り合う競争が、今の就活だ。上場企業と言ってもワタミや王将のようなブラック企業も含めてのものだから、実際はもっと少ない。

「安定した大企業への就職だけが唯一の正解。それができなかった人は、負け組」

こういう考えが世の中に蔓延している限り、就活学生へのプレッシャーは際限なく増大します。もし親がそのようなことを考えているとしたら、プレッシャーはさらに大きくなるでしょう。実際はたった10%の人しか就けない会社に入社することが幸せであるという言説は、学生を苦しめる最大のものです。
英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか??就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋

遊んでても仕事があったなんて昔はよかったな。てかズルいな。と正直思うけど、そういう時代は時代で今に比べ不自由なことも多かったんだろう。

『英語もできないノースキル文系学生』に仕事がないのは「世界」でも当たりまえ

英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか??就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋』によると、「大学を卒業したら正社員として働くのが常識(得られないといけない。それが社会正義)」と考えているのは日本だけだという。

たとえばスペインでは、若年失業率は40%。大学を出ても仕事がないのが普通だ。アメリカはさすがに失業率はもっと低いけれど、まともな大企業に職を得るには①小さな企業や(無給の)インターンから始め②職業上のスキルや経験を積んで③そこからもう一度MBAロースクールなどの社会人大学に入りなおして、というステップを踏むのが普通らしい。アメリカは完全実力主義で新卒も中途も同じ土俵で戦うので、普通にやったら経験のある転職者が勝ってしまう。


お隣の韓国はというと、大企業に入るなら英語は完璧なのが必須で、TOEIC930点でもまだ足りないくらい。韓国が日本以上の学歴社会というのは聞いたことあるから、マジなんだろう。それだけでなく、大学を普通に4年で卒業するだけでは職がないからわざと1年留年し、どこかでインターンしながら職業経験を積むらしい。対して日本の大企業は「総合商社が海外駐在に求める英語力の基準がわずかに830点」で、「シャープにいたっては、なんと600点」。お、おう。

こういうの聞くとむしろ無邪気に誰でも「大手狙いです!」って言える日本がまだ恵まれてるんじゃないかと思える。日本は今までが良すぎただけで、これからもっと「世界基準」に近づいていくのかもしれない。僕は日本で生活するうえで英語が必要な時代はまだしばらく来ないと思ってるけど、仕事のスキルとして求められるならやらざるを得ない、か。

ではどうするか?

筆者いわく「海外に行け」。

「出た」と思ったけど、やっぱり英語を仕事で使えるレベルで身に着けるなら、行ってみたい方がいいんだと思う。問題は今のままではノースキルでノーイングリッシュな状況は変わらないことだ。

しかしところ変われば状況も変わるもので、単純な働き手として見たとき「英語ができずスキルもない」日本人でも、引く手数多な国はたくさんある。なにしろ日本人は真面目で行いもよく、清潔で勤勉だからだ。

ものごとの戦い方には2種類あります。ひとつは戦闘力を高める方法。もう一つは戦う場所を変える方法。
戦闘力を高めるというのは、スキルや経験を高めるということ。これには積み重ねが必要で、将来的にはこれらのスキルや経験の積み重ねは絶対必要です。
英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか??就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋

ここでいう「戦う場所を変える」は途上国などまだ人的・技術的な蓄積がない国・足りない国に飛び込んで、そこで働くという方法だ。日本に住んでいるだけで読み書き計算といった基本はできているのがほとんどの日本人なら、働く場所はいくらでもあるという。そこで優位な立場で働きながらスキルと経験をため、いずれ日本とその国の貿易を仲介したりといった仕事を生み出せれば日本の一般的なレールからは確実に外れられる、ということらしい。

ひたすら上を目指していくかのような競争社会のレールから、僕は早めに降りてしまいたいなと思っている。

競争とは無縁の場所でのほほんと暮らしたい。のほほんとまでいかなくても、他との競争のために消耗するだけの生き方はしたくない。

不毛な「競争社会のレール」からさっさと降りてしまいたい - ゆーすとの日記不毛な「競争社会のレール」からさっさと降りてしまいたい - ゆーすとの日記


ここで書いた「競争社会のレール」がまさに今の就活を指してるんだけど、そこから外れるにしても
のほほんてわけにはいかないかなー。

*1:年収プロ『全上場企業・年収・従業員データ』(2月26日版)より

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