「自分が自殺しないため」に考えたこと

「自殺」に関して〈個人〉と〈社会〉の両側面から考えたい - ぐるりみち。

自殺する人は弱い - grshbの日記

読みました。


どういう形であれ、「自殺」等のデリケートな問題についてこうしてブログの記事のひとつとして触れることに僕はあまり気が進まないなと思っていました。思うところが何もないわけじゃないけれど、それは僕自身が今自殺やその当事者、関係者とはほど遠い立場にあり、下手に想像を巡らせ頭でっかちに考えた結果その場限りの結論を下し、思考が硬直化するのが怖かったからだと思います。こうして言葉にすることで、しかも話し言葉ではなく書き言葉として僕の考えが形を持ってしまうことで、そこには必ずこだわりができる。こだわりはいざ自分が当事者になったり、あるいは身近な問題として直面することになったとき、思考の柔軟性を奪う“枷”になる。結果、本来ならやらないような、致命的な事態を招くかもしれない。

まぁここまで考えていたかどうかは怪しいですが、「自殺」に対し今まで目を背けがちだったのにはそんな不安があったのかなと思います。


ただ冒頭に挙げた記事を読んでいて、それも違うな、と考えなおしました。自殺を単なるトピックとして面白半分に取り上げるのはよろしくないけれど、全く考えないのもそれと同じくらいキケンかもしれない。つまり自殺を考えるような精神状態でない今の僕くらいしか、いざそういう状況に自分が追い込まれた時に正常な判断力の基になるものはつくれないだろうなということ。自殺というのはよく言われるように、極端に視野が狭くなったり追い込まれたりした結果最後の、あるいは最初の選択肢として頭に浮かぶものだと思います。そういう考えにストップをかけ得るかもしれない“枷”なら、むしろ身に着けていたほうがいい。


僕が今まで、冗談の域にとどまる範囲でしか自殺することを考えてこなかったのはひとえに運だと思っています。僕が生まれ育った環境からはじまり、親や親戚、友人などとのかかわりや経験を経る中で自殺や自殺することをほとんど意識することがなかったのは運が良かったから。自殺をはっきり意識するような環境や出来事に遭遇する確率がどの程度かはわからないけれど、ふたつみっつ偶然が重なっていれば危険な精神状態に追い込まれていたであろう状況というのは、なかったとは言い切れない。


自分の判断力、思考力が正常なら自殺するなんて考えない、そう考えるのは弱いからだというのは違うと思う。かといって、自殺を選ぶことが強さだとも思わない。「強さ」や「弱さ」で自殺を考えるのは間違っているし、もし今自分が「強い」側の人間だと思っていても、いつそれが変わるかわからない。調子がいい時は思考は冴えるし、上手くいかないことが続けば視野は狭まりドツボにはまる。自殺に及ぶ人がどんな性格でどんな考え方で、また状況にいたのかは一概には言えなさすぎて語る意味はない以上、どちらにも転びうるのだろうし、自分は大丈夫だと思って疑わないことほど危ない考えはないと思っています。


自殺について僕が今語れること・考えの及ぶことはそう多くなく、無理に背伸びしたり面白半分でこうだと断定しようとすれば、前述したような思考の硬直化を招く。じゃあ何を考えるかって言うと、日本の年間自殺者3万人について思いをはせるというよりは、まずは自分が自殺しないこと、自分が自殺を考えるような状況を予防することだと思います。


自殺に関する報道はテレビや新聞でよく見ますが、そういう環境にいるとなんだか、自殺に対する心理的なハードルが下がっていくような気がするんですよね。例えばジャングルの奥地に住むどこかの部族が半年に一度人間の生贄を神様に捧げて、その後生贄にした人を食べることで霊魂を鎮めるみたいな風習があったとする。今適当に考えたことですよ。で、僕はそれを聞いて、そんなバカなと思う。はなっから考えつかない、日本じゃそんなことあるわけないと思う。これが自殺にも当てはまるのが本当は理想であって、そもそも自殺が選択肢として挙がることがおかしいんですよね。しかし実際はそうじゃなくて、僕はもう辛くなったときにとる行動の究極として自殺があると知っていて、しかも(人に依るけれど)わりと日常的に見聞きすることで確実にハードルが下がっている。日本にいればたぶん、状況次第では誰もが頭に思い浮かべうること。


「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」て言葉がありますが、本当はそうやって「自殺」を自分の意識の外に置くような態度が理想なのかもしれない。でも今みたいな情報社会ではネット環境ひとつで簡単に欲しい情報にアクセスできるし、受動的なものに限っても完全にはシャットアウトできないそうもない。だったらもう、そういう報道なりニュースなりを見聞きするたびに、自殺は拒絶すべきもの、それも感情的に拒否すべきものとして考えてなきゃいけないのかなと。何があっても自分は自殺しない、そもそも死ぬなんて選択肢はないんだという思考や感情のの積み重ねが自分を救うこともあるのかなと思います。

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