「自己概念」の不明確さが引き起こすもの
前回のこのようなエントリーを書いた。内容は僕のはてなブックマークのコメントをそのまま引用すると
「本当の自分」なんてないけれど、それでもある程度歳を重ねれば自分の人間性みたいなものは見えてくる。それすら変化するものと理解した上で、自分の位置を把握していたい。
みたいなことを書いている。よくわからんなって人が大半だと思いますが、興味があれば記事の方を読んでください。
実はこのエントリーを書く前にも「自分」とか「自己認識」みたいなテーマについては何度か書いていて、けっこう付き合いは長い。それでも毎回書くたびに「なーんかしっくりこないな」ともやもやすることが多かった。しかし上のエントリについてはわりとすっきり自分の考えを整理できた気がしている。
そのきっかけはある本を読んだからなんだけど、今回はあえて触れずにおく。もったいぶってすみません。ただひとつ、その本の「カテゴリー」みたいなのを上げるとすれば、いわゆる就活本だ。最近意識することが多かったのも大きいが、それでもkindleのセールがなければ絶対手を出さなかったであろう本なので、意外と読んでみなきゃわからないなとしみじみ思う。何か月も刊行を待っていた期待大の本でさえたまに裏切られることがあるし、こういう思わぬ出会いがあるから読書というのは面白い。
就職活動というのは僕ら学生にとって人生の岐路であるのは間違いないだろう。こんな時代だし、それに対する不安はみんな多かれ少なかれ持っている。ただそうした困難が目の前にあって何とかしようともがいているとき、いつもではないにしろ、誰かの言葉や偶然見つけた文章によって考え方や発想にブレイクスルーが起きることがある。べつに就活じゃなくても、辛いとかきついとか感じるときほど、そういうものが起きる頻度も高いというのはなんとなくわかってきた。人は危機感と混沌の中でしか成長できないのだ。動物の本能として人間もまたそういう仕組みには勝てず、むしろそれを利用して進化してきたのかもしれない。
前置きが長くなりました。本題に入る。
冒頭で紹介した『「自分が無い」と感じることについて』だけど、僕の考えとよく似たを東大のキャリアサポート室が載せているのを見つけてちょっと驚いた。
キャ リア発達研究の第一人者である、コロンビア大学名誉教授D.E.スーパー博士(1910~94)によると、誰でも「自分は何が好きで、何が嫌いか」 「どんなことを楽しいと感じる人間であるか」という「自己概念」を持っているといいます。また、職業選択と自己概念との関係を次のように言っています。
1.自己概念が不明確もしくは低いものであると、職業選択も不適切であったり、不満足なものになってしまう
2.仕事とは「自分の能力(最も得意なもの)」や「興味(最もやりたいこと)」「価値(本当に重要だと思っていること)」を表現するものである。 そうでなければ、仕事は退屈で無意味なものになってしまう
自己分析を行い、そのうえで、自分のやりたいことを実現するためにはどのような職業・会社があるのか、というアプローチが自分の進路を考えるうえで大切なのです。
http://www.careersupport.adm.u-tokyo.ac.jp/info/standard/2012-11-08-08-40-41/autolysis
『誰でも「自分は何が好きで、何が嫌いか」 「どんなことを楽しいと感じる人間であるか」という「自己概念」を持っている』。このあたりの話はまさに僕が『「自分が無い」と感じることについて』で言いたかったことと同じだ。僕が知識のなさゆえ苦し紛れに「自己認識」と呼んでいたものは、実は「自己概念」というやつらしい。なるほどーというかんじだ。さすが東大、就活さえもアカデミックなアプローチにこだわるのか。関係ないが、20年も前に亡くなった人が今もキャリア発達の第一人者って、それでいいんだろうか。
それはまぁ置いといて、そのスーパー博士が述べている二点についても、僕が考えていたこととそっくりですごく共感を覚えた。特に読んでいて首がもげるほど頷いたのは最初の文章。
自己概念が不明確もしくは低いものであると、職業選択も不適切であったり、不満足なものになってしまう
ここではキャリアのこと、つまり働くことに限定して述べているけれど、これは何も仕事に限った話ではないと思う。げんに僕がこの考えに至ったきっかけは、仕事をしていた経験からではない(僕はまだ学生だ)。手前味噌ですが、『「自分が無い」と感じることについて』ではこのあたりのことについて、比喩をまじえて書いている。
自分がどこにいるのかわからないのだから、迂闊に動くことさえ怖くてできない。真っ暗闇で手を前に突出し、うろうろと適当にさまようだけだ。「自分がわかる」状態とはつまり、地図で自分のいる場所が把握できている状態だ。それなら、次はあっちへ行こう、こっちへ行ってみようと変化するもの容易いし、足取りも確かだろう。
http://syuraw.hatenablog.com/entry/2014/04/10/212654
ここでは「自分が理解できていないと上手く変化できない可能性がある」といった文脈で書いている。ここでいえば「就職する」というのは大きな変化と言えるだろう。たとえばそれまで学生だった人なら否応なく、新しい環境へ適応しなきゃいけない。そのときの変化の過程はもちろん、そもそもの「変化した先」「適応する対象」すら、自分がわかっていなければ間違えかねないと僕は思う。いくら苦労して適応しても、変化した先が自分と合っていなければ意味がない。ここ何年か、新卒の3割が3年以内に仕事を辞めてしまうって話が話題になっている。企業と学生のミスマッチは、すべてではないにしろ、こうした理由もあって起こってるんじゃないか。しかもどっちかといえばこれは、応募する側の学生に問題があるような気がする。まぁよく言われていることかもしれないけど、改めて大事なことだよなって思う。
ただひとつ強調しておきたいのは、僕がしてるのは「本当の自分とは?」なんていう、底なし沼みたいな哲学的議論ではないということ。もちろん考えるのが無駄というわけじゃないし、むしろカントとかの文章を当たって一度徹底的に考えてみるのも面白いかもしれないけれど、ここではまた別の話だ。
というわけで、「自己概念」があやふやだとやっぱヤバいよなーという話でした。
自己概念研究ハンドブック―発達心理学、社会心理学、臨床心理学からのアプローチ
- 作者: ブルース・A.ブラッケン,Bruce A. Bracken,梶田叡一,浅田匡
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