「人の数だけ人生がある」ことが、たまらなく不思議で面白い

このまえ旅行先のホテルでテレビをつけたらNHKの『ドキュメント72時間「密着!街角の写真プリント機」』って番組をやってたので、見ていた。新宿の家電量販店に置かれた写真プリント機にカメラが密着して、そこにくる人々をひたすら記録し、取材する。「人の数だけ人生がある」という当たり前の事実を身をもって知ったような、すとんと腑に落ちた気がして、その感覚が少し不思議でもあった。


写真プリント機を使いにやってくる人たちはいったいどんな理由で、何の写真をプリントしようとやってくるのか。見えてくるのは、そうした人々の背景にある一人ひとりの人生だ。証明写真を撮りに来た就活中の学生、専門学校に通う孫のファッションショーを山梨から見に来て、その撮った写真をプリントして帰る老夫婦、十数年の間その店に通い続ける、写真が趣味の初老の男性。


なんとなく生きてると、他人も自分と同じようにひとり一人の人生を生きてるんだと気付けないなと思う。おそらく自分が自分の人生しか生きてないから、ともすれば他の人の人生まで想像が及ばなくなるからだろう。でもいったん気付くと、それがとても不思議に思える。例えば今日行ったコンビニの店員のおっさんにも、たぶん30年そこそこの人生がちゃんとあって、その間に生まれて、学校入って、誰かと友達になって、喧嘩とかして、飯食って、恋愛して、勉強して、流行のゲームにハマり、バスに乗って、考え事しながら歩いて、突然雨に降られてずぶぬれになったり、事故に遭ったり、酒飲んで酔っ払ったり、人間関係で悩んだり・・・ってのを積み重ねて、巡り巡ってここの職場に応募し、面接を受け、朝起きて顔を洗って、髭でも剃って出勤し今自分の前にいるのだと考えるとめちゃくちゃ面白い。全くの赤の他人でも、その人が数十年という時間を自分が生きていたのと同時期にどこかで同じように生活していたのだと考えると、言いようもなく不思議だ。


一番身近にいる家族にしても、例えば親とかなら、その人生がどんなものか、一緒に生活する中でなんとなくわかる部分はある。おそらく一番身近な「他人の人生」だろう。けれどもちろんずっと一緒にいたわけでもなく、そもそも自分に物心がつく前はどんな人生を歩んできたのか、自分を産み育てた人がどんな経験をしてきて、何を考えて生きてきたのか、完全に理解することは不可能だ。今まで誰にも言ってこなかった、言いたくない過去とかあるかもしれないし、これから言う機会があるのかもわからない。文字通り墓場まで持っていくかもしれない。


僕の母は割とおしゃべりな方だが、父は無口だ。父の人生がどんなものだったのか、その概要だけでも本人の口から聴くことはあるんだろうか。兄弟なんかは自分とほぼ同時期を生きてきたと言ってもいいけれど、学校では当然別々だ。自分自身の人生を振り返ったときその大半が「学校」と呼ばれるところで起きた出来事なのを考えると、知っているようであって、兄弟の人生など僕の想像も及ばないのが実際だろう。末の弟はまだ10歳そこそこだけれど、そろそろ明確に自我も芽生えてきた。たぶんとっくに僕の目を離れて、自分の人生を歩み始めているのだろう。


でも「ちょっとあなたの人生聴かせてよ」と言ってみたいところでおそらく、西暦19××年誕生、○○小学校入学、卒業、○○中学校入学・・・・今に至る。とかいう、履歴書みたいな語りにしかならないたろうってのが難しい。他人の人生って絶対面白いのに、将来SF映画みたく他人の記憶を体験できるような装置が作られでもしない限りそれを体験することはできない。話を聞き出すことはできるけれど、聴きだせるだけの準備時間をその人と一緒に過ごし、ちょっとした雑談や、あるいは食事か飲み会の場で聴くのが普通だ。学校なら授業後や部活で仲良くなって初めて話が聴ける。引き出しは簡単には開かない。

ブログはここんとこをショートカットして、自分語りの好きな人が虚実織り交ぜながら、まとまった文章で伝えてくれるわけだ。


こうしてインターネットをしていても、画面越しにブログにコメントをつけたりツイッターで言葉を交わすのは数十、数百もの他人で、そうした人たちは自分とはまったく違う場所で何十年も生きてきてそこにいる。人生を語り合うことはないかもしれないけれど、確かに自分には「何十年という時間の蓄積」が向かい合っていて、すれ違うだけだったとしてもなんだか感慨深い。現代版の「袖すりあうも多少の縁」だ。


我ながら平凡な人生だよなーと自分では思っているけれど、他人として自分の人生を顧みれば、なかなか面白いポイントもあるかもしれない。「他人の人生」を聴かせてほしいなら、まず自分の人生が語れるだけの面白さがないとなぁとかも思う。


テレビに映る東京のスクランブル交差点で何百人って人が一気に映るけれど、その人たちはみな違う場所から来て、違う場所へ向かっているのだ。500人の人がいるんじゃなくて、一人が500人いるのだ。そうして「人の数だけ人生がある」ってのをリアルに想像すると、たまらなく不思議で面白い。

GIFT

GIFT

<