『東日本大震災警察官救援記録 あなたへ。』

という本を読んでます。

この本は3年前の震災で救援活動に従事した、全国47都道府県の警察官とその関係者の手記をまとめたもの。立場も状況も異なる彼らが、それぞれどんな気持ちで被災地と向き合ったのか。何を見て、聞いたのか。

一週間くらい前からこの本を読み始めて、やっと4分の3ほど。正直しんどい。警察の方々の使命感溢れる言葉も、被災した方の悲しみも、どれもこれも僕には重すぎると思いました。ページをめくる手は鈍く、胸の奥には、熱をもったヘンなしこりができていくような感覚があります。


人は地震津波といった自然の脅威に対して無力です。生後間もない赤ちゃんから、孫を守るように亡くなったお婆さんまで、どの方も何も悪いことはしていない、命を落とすような理由はひとつもない。なぜ死ななければならなかったのかという問いに答えはなく、遺族や救援に行かれた方の怒りも悲しさも、どこにも行き場はありません。


しかし、被災して心に大きな傷を負った直後にもかかわらず他人への気遣いを忘れない人たちには自己犠牲の尊さを、また被災地へ駆けつけ、自分を奮い立たせて使命を全うしようとする警察の方の言葉に、覚悟と底力を感じます。人って無力だけど、ヤワじゃない。

以下、特に印象に残った手記の抜粋です。



滋賀県警察 小林孝行(50)】
「体験リポート」

幼稚園んお名札をして、泥だらけになった男の子が忘れられない。
自分の息子の幼いころの姿とだぶり、無意識に「こわかったな。きれいにしような」と語りかけながら、泥水でしか洗えない布で顔を拭った。涙で前が見えなくなった。


お兄ちゃんの通学用ヘルメットをかぶり、海に漂っていた小学生の男の子。ズック靴の名前がその子の名前だと推測された。海を漂っていたのを海上自衛隊駆逐艦に収容されたという。全くの無傷で汚れてもいない。


なぜ、この子たちがこんな目に遭わなければならないのか。何の責任もないのに。この怒りはどこにも、誰にもぶつけられない。


大阪府警察 上根絵美子】上根慎二氏(29)夫人 
「妻としての覚悟」

眠れぬ夜が続くなか、第一機動隊の方から「明日帰ります」との連絡を聞いたときは、無事に帰ってくれることのありがたさを痛感しました。


帰ってきた夫が
「生きてる人を一人も助けられんかったわ・・・」
と悔しそうにつぶやいた言葉と、無精ひげを生やし、頬がこけて目の下にクマができている夫の姿が、壮絶な現場を物語っていました。


石川県警察 勝田剛介(35)】
「指示棒の重み」

出発の前日、私は隊員に対して何事にも優先させるべき事項は、「全員無事に石川県に帰県すること」であると伝えた。
(中略)
だが、自分の選択で部下が死ぬかもしれない。
自分の実も危ないが、もし私だけ生き残ったら、どのような顔で遺族に会えばいいのか。卑怯者とさげすまれようが、部下に見切りをつけられようが、いっそのこと厚い面の皮で通したらどうか、責任はすべて自分が負うのだから、部下さえ無事ならそれでいいのかもしれない・・・。

葛藤にさいなまされた。
ロビーに降りたところ、ホテルにいた部隊員はすでに出動服に着替え、整列していた。思わず目頭が熱くなった。
「小隊長、行きましょう」


秋田県警察 鈴木武将(22)】
「前進」

いつもと同様に捜索活動を終え、宿舎の温泉に入っていた時のことである。親子と思われる男性と幼稚園くらいの子供が、風呂の中で水をかけあって遊んでおり、被災地の凄惨な状況とはまったく違うこの平和な光景に癒される思いでいた。


その時である、父親だと思っていた男性が、その子に対して言った。
「お父さんが心配するから、そろそろ戻りなさい。君のお父さんはどこにいるの?」
「お父さんは地震で死んじゃった。だから僕一人でお風呂に入ってるんだ」
このやり取りを聞いていた私は涙をこらえることができず、他の入浴客もうつむいたままであった。父の死を語る最中に子供からは今までの笑顔は消え、悲しそうな表情に変わっていったことが強く印象に残っている。
しかし、この子は最後まで泣くことはなかった。


千葉県警察 藤崎朋子(47)】
「またいつか笑顔で~さすけねえ、福島!~」

でも、しばらくすると唐突に
「クルマや家は金で買い戻せるけどな。金で買えないもん、なくしちまったな」
ポツリポツリとあの日のことを話し始めました。日に焼けて真っ黒な顔にがっちりした身体。強面なのに、笑うと目が糸のように細く優しい顔になるその男性は、南相馬市で建設業を営む社長さんでした。
(中略)
「あんたに話せたから踏ん切りついたよ、いつまでも泣いてらんねえな。やることいっぺえあっからよ」
と涙をぬぐうと、笑顔で、
「福島からあんたのこと、娘だと思って見守ってるからな。さすけねえぞい。頑張れ」
と笑顔でぐしゃぐしゃになった顔で、まるで幼子にするように、私の頭を撫でてくれたのです。そして私の姿が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも手を振って見送ってくれました。
「さすけねえ」とは、福島弁で「大丈夫」とか「心配ない」という意味だそうです。被災した自分のことよりも、私に「大丈夫」「心配ない」というエールまで送ってくれた男性の温かさに、胸がいっぱいになりました。


長野県警察 鷲澤善(24)】
「顔晴れ岩手」

被災者の方の無数の思いを感じて作業していたなか、特に感銘を受けたものがあります。それは、被災したある中学校が掲げた手作りの看板でした。
大きな紙に書かれた「顔晴れ岩手」。顔が晴れるに頑張れと振り仮名が書かれた看板を見て、さまざまなことを考えさせられました。
顔が晴れるように頑張ろう。毎日、活動地までの往復にその熱いメッセージを目にして、被災者の方々から元気を与えていただき、作業を頑張ることができました。


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「東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。」編集者より&その反響 - Togetterまとめ

東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。

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