21世紀は「複合災害」の世紀だ

来月11日までの一か月間、震災についていろいろ考えようと思ったわけですが、まず手に取ったのはこの『巨大災害の世紀を生き抜く』。

巨大災害の世紀を生き抜く (集英社新書)

巨大災害の世紀を生き抜く (集英社新書)

 21世紀は複合災害の世紀だ。今や災害は単純な自然災害で終わる時代ではない。文明の規模が大きくなるにつれ、何かのはずみで巨大な脅威に転じるもの――原子力発電所であれ、新型ウィルスであれ――と我々は隣り合わせに生きているという認識が必要なのだ。小さな災害が、ドミノ倒しのように巨大で複合的な災害を引き起こす危険な時代に私たちは生きている (まえがきより)

この本は3年前の震災をうけ、これまでとは規模も危険性も大きく違う21世紀型の「複合災害」、またそうした災害からどのように身を守るべきか、対策をたてるべきかについて主に歴史的・災害心理的な観点から論じてます。


これまでの「災害」といえば、規模に差はあれど地震なら地震、豪雨なら豪雨、という具合に多くの場合それ単体で起こるものです。それはある意味で対処もしやすく、「予防」もしやすいものでした。ですがこれからの21世紀型の災害は東日本大震災のように地震津波原発事故と、ドミノ倒しのように複合的に災害が連なる危険性をはらんでいる。たとえば鳥インフルエンザが流行すれば、今まではそれが蔓延した国や地域だけでその発症者が増えていたのに対し、グローバル化によって世界中がつながった現在、世界的な規模で流行してしまう危険があるのです。


先日の関東での大雪やその被害を見て感じたことでもあるけれど、この先生きていく中で、それも地震津波、台風などのリスクが常にある日本で生きていこうとなれば、災害発生時に何をすべきか、それが起こる前にどういった準備をしておけばいいのか、知っておくべきだと思う。僕は今まで運よくそういった災害に見舞われずにきたけれど、これからもそうだなんて言い切れない。むしろ死ぬまで一度もそういう場面に出くわさない確率のほうが小さく思えるし、「自分は大丈夫だろう」という考えほど「大丈夫じゃない」ものはないというのは、先の震災を見ていても痛いほど感じたことだ。


震災で地震が発生したとき、津波の情報が回っていたにも関わらず「逃げなかった」「逃げ遅れた」人たちいた。そうした人々が陥った“心の罠”が正常性バイアス「同調バイアス」だ。人が何か異常事態に陥ったとき、その状況変化によってパニックを起こさないために無意識に正常であると思い込もうとするのが「正常性バイアス」。「同調バイアス」は周囲の人が避難しないから自分もしない、他人と違う行動をとるのは怖い、といったものだ。災害時、そうした心理状態に陥ってしまうことは命取りになる。この二つのバイアスって何も災害のときだけじゃなくて、普段の生活を考えてもよくあることじゃないかと思う。


原発事故の結果、政府が出す情報も専門家の意見も、必ずしも正しいわけではないとわかった。厳しいことではあるが、必要なのは、災害時に「自分で情報を集め、自分で判断する」ということだ。なぜなら複合災害の怖さが「予想できない事態が起こる」ということにあるからだ。誰も事態を正確に把握できない災害直後、「同調バイアス」のメカニズムに身を任せず、絶えず変化する状況に合わせてできるだけたくさん情報を集め、最終的には「自分で」判断し行動する。すべて「自己責任」で判断する。普段からそういう習慣がなければできないと思う。


もちろん政府やメディアの情報が正確で、普段からオープンに開示されているのが一番いいかもしれないが、こうして「自己責任」のリスクを負ってそれぞれが判断するようになることのメリットもある。その説明で印象的だったのが、著者が関わってきたエイズ患者の話。

治療が難しい病気は全てそうだが、患者は、医師の完全な支配下に置かれる。どんな薬を使うか、そんな治療法を選ぶかは全て医師が決める。医師に従属しきった状態のエイズ患者が自由になるのは、治療をやめるという決断をしたときだった。自分の生命の終わりは自分で決める、という重い決断をしたとき彼らは自由になったのだ。究極とも言える自己決定によって、自由を獲得したのである。他者依存からの解放は、厳しい覚悟の末に得られるのである。

よく言われることだけど、自由を得るには自立しなければならない。自己責任で、自分で自分をコントロールする覚悟が必要だ。21世紀の「複合災害」のリスクは、そうした覚悟を私たちに求めてきていると言えるだろう。

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