企業の人柄重視に流されないための「あまのじゃく性」

2月も中旬を過ぎ、そろそろ就活も本格化してきていると思う。実際は知らないけれど、就活の基本的な流れでいえば今の時期は、企業に出すエントリーシート(ES)を書いたり、企業説明会に出かけたりしているらしい。


ESにしろ面接の準備にしろ、自己分析のほかに、志望する企業が求めるものを自分なりに分析するのは重要だろう。就活をテーマにした漫画『銀のアンカー』によると、企業が学生に求めるものは「人柄」「熱意」「可能性(伸び代)」の3つがもっとも多いらしい。中でも「人柄」は企業の9割以上が重視しているので、どこにいくにせよ求められるものだと思った方がよさそうだ。


その「人柄」だけど、これは要するに面接官が「こいつと一緒に働きたい」「部下に欲しい」と思うか否かということだ。それは突き詰めれば、その企業全体としての雰囲気や社風となって表れるものだと思う。そしてそれは意識的にしろ無意識にしろ、「集団の等質性」を高めるもの、つまり集団の中にいる人の性質や特徴、雰囲気が似通ってくるということだ。


たしかにこれは一企業として必要なことだ。さまざまな人がいる中で大きな目標を共有したり一緒に働くうえで、「集団の等質性」を高めることはチームワークの向上や意思決定の効率化に役立つ。これは何も企業に限ったことではなく、たとえば友達同士で何かやろうとなったとき何を重視するかといえば、その人の能力というよりは人柄とか、考え方が近いかどうかだったりする。そのほうが「やりやすい」からだ。企業が「人柄」を重視するのは、たぶんこれと同じ理由だろう。大企業であればあるほど、その傾向は強いのかもしれない。外資系はまた別かもしれないけれど、「和をもって貴しと為す」、日本的な発想とも近い。


こう考えれば当然、学生側としてはその企業の社風や雰囲気に合っており、なおかつ素直で元気な人物だとアピールするのが内定への近道っぽいなと考える。実際それが上手くいったとして、自分の人柄が企業のそれと合っていれば働きやすいだろう。しかしその反面、企業という集団としてみれば、そう良いことばかりでもないんじゃないかと思うのだ。


会社が調子が良かったり、あるいは通常通りのときは「等質性重視の集団」は力を発揮するだろう。全体の統率が取りやすいのだから、ひとつの方向への推進力は大きくなる。だがもし、その企業が不況やトラブルに遭ったりと、危機的な状況に陥ったらどうなるだろう。なまじ平常時に周りと息を合わせることに注力しているぶん、そういうものに弱いとは言えないだろうか。その企業がマスコミに取り上げられるようなトラブルもしくは不祥事を起こしたとき、その社風と雰囲気に染まった「等質性重視の集団」は、きちんと自分たちを客観視して、誠意ある対応を取れるだろうか。たまに聞く企業の食品偽造や隠蔽といったものは、こういう集団の等質性重視に一因があるんじゃないか、と僕は思う。


とはいえ異常時なんてそうそうないから異常なんであって、いつも通りなら社員の人柄や考え方にある程度の等質性があるのは一個人にとっても企業全体にとってもいいことだ。重要なのは、いざというときに集団の総意のまま間違った方向へ進もうとする中で「それは違うんじゃない?」と異を唱えることができるか、あるいはそういう多様な意見を受け入れ議論できる風土があるかどうかだと思う。


これから就職する学生として考えておきたいのは、企業の「人柄重視」の求めに応じつつも、どこかに「あまのじゃく性」をもっておくことだ。それはいざというとき組織を救うだろうし、何より自分の身を守るために必要な、心得ておくべき勇気なんじゃないかと思う。

銀のアンカー 1 (ジャンプコミックスデラックス)

銀のアンカー 1 (ジャンプコミックスデラックス)

<