チョコレートは苦手だった

感想書こうと思ってた本がまだ読み終わらないので、昔のバレンタインの思い出でも書こうかなと思う。



チョコレートは苦手だった。今はもう大丈夫だが、たまたま食べたすごく苦いビターチョコがトラウマになっていたのだ。例えば誕生日にバースディケーキを食べようとなっても、それがチョコレートケーキだったりすると機嫌を損ねて、ふて寝していたのをよく覚えている。


小学生のころ、バレンタインは毎年楽しみにしてるイベントだった。というのも当時、ありがたいことに僕に好意を寄せてくれる女の子がいたからだ。小学校に入った最初の年から毎年、バレンタインはその子(Mちゃん)から手作りのクッキーをもらっていた。


Mちゃんは僕がチョコが苦手なのを知っていて、毎年バレンタインが近くなるとわざわざ僕に「チョコとクッキー、どっちがいい?」なんて聞いてくれた(今考えるとなんっていい子なんだ)。僕はほぼ毎年「クッキー」と答えて、手作りクッキーをもらってた。だから僕にとってバレンタインはチョコというよりクッキーのイメージが強い。


もちろん僕は嬉しかったし、毎年クッキーはおいしくいただいていた。ただ今でも心残りなのは、その好意に対するお返しをきちんとしていなかったことだ。実際はっきり好きだと言われたこともあるし、当時「女の子と付き合う」とか、そういう概念すらなかったのだけど、それにしても何か返事をしてあげるべきだったなと思っている。正直恥ずかしかった。周りの目もあった。でもそれはMちゃんも同じだったはずで、バレンタインに限らずよく話しかけてくれていたのを考えると、どう考えても僕が幼稚だった。僕はそうやって「好意を受け取ること」に慣れ過ぎていて、こちらからお返しするとかそういう発想がまるでなかった。


決定的だったのは、たしか小学5年のとき。その年も僕は独りよがりに期待していて、その期待通りMちゃんはクッキーを手渡してくれた。どこかの特別教室に、Mちゃんの友達に呼び出されて、そこで待っていた彼女から受け取った。嬉しかったけど、こっぱずかしかった僕は「ん、ありがと」とかなんとか言ってさっさと出て行った。


毎年Mちゃんにもらうのは母も知っていて、ホワイトデーにはそのお返しをMちゃんの家まで渡しに行くのが恒例だった。先述したように好意を与えられることにかまけていた僕は、そのときも、お世辞にも誠実とは言えない態度だった。たまに手渡しでお返ししたりもしていたけど、その年は「恥ずかしいから」と言って母に代わりに渡してもらい、自分は車の中で待っていた。さすがに罪悪感というか、後ろめたさは感じていたけれど、それをMちゃんがどう感じるのか、そういうところまでは考えが及んでいなかったと思う。ただ自分がひとり車の中で待っていること、それがなんだか情けなかっただけだ。


次の年、僕は相変わらず「たぶん今年もくれるだろう」と思っていた。結論から言うと、その年Mちゃんはクッキーをくれなかった。14日、彼女は何も言ってこないし、もちろん次の日も何もない。その時初めて僕は「あ、ふられたのかな」とか思って、何故かものすごくショックだった。Mちゃんはもう僕のことを好きじゃないんだ、と思って、すごくショックで、落ち込んだ。


Mちゃんのことは好きだったと思う。でも今考えるとそれは移り気な少年のふわふわした気持ちに過ぎず、特別な意味はなかったかもしれない。言ってしまえば、恋愛そのものにまだ興味がなかった。とことん子供だったなぁと思う。それでも毎年クッキーをくれていた子が今年はくれないと知って、自分勝手なことに、ショックだったのだ。

ビターチョコなんかよりずっと苦い思い出だ。


それ以降、バレンタインにMちゃんから何かもらうことはなかった。公立中学に一緒に上がったけれど、クラスが同じときもあれば違うときもあり、特に深くかかわることもなく卒業した。親同士は一応知り合いなので、今は風の便りでたまにMちゃんの様子が伝ってくるくらいだ。


当時を思い出す度に僕は、「好意に対して怠惰でいたくない」と思う。昔もらったものを周りに還元することは、ひとつの贖罪だろう。でもそれが実践できているかといえば正直自信がない。僕は結局、まだまだあの時と変わらない「子供」なのかもしれないなと思う。

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