「成人すること」と「大人になること」は違う

今日は成人式ですね。僕もついこないだ終えたばかり。なのでお酒飲んだり選挙に行ったときなんかに「成人したんだなー」と、今でもぼんやり感じる瞬間があります。まだ完全に慣れてない。


「大人になる」ってどういうことなんでしょう。
僕は19歳の時、やたら焦って考え込んでた時期があるんです。「やばい、あと一年で成人じゃん。大人じゃん」と。何がどうなれば「大人になった」と言えるんだろう。僕はあと一年で自分が大人だと言い切れるか?とてもじゃないけど無理だろうな、と思ってました。


今にして思えば、成人はしても、上に書いたような「権利が増えたこと」による実感はかなり表面的なものですよね。「成人すること」と「大人になること」は違う。実際本当に「大人になった」と実感するきっかけは他人とのかかわりとか、人間関係から生まれるんだろうなと思ってます。それで“大人になる条件”みたいなのを考えてみました。

他人に期待しないこと

自立すると言い換えてもいい。ただ僕はこっち(他人に期待しない)の方がしっくりきます。
内発的な自立については以前書いたことがあるんですけど、ここで言いたいのは他人とのかかわりにおいて「期待しない」ということです。他人は必ずしも自分に好意的じゃないし、思う通りに動いてくれない。ただ「期待はしない」けれど、一方で一人じゃ生きていけないのも事実ですよね。その辺の区別とかバランスは、僕はまだまだついてない気がします。

大人扱いされること

このままだと「じゃあ「大人扱い」の「大人」って何だよ」って話になるんですが、僕としては「他人扱いされる」ことです。①に似てるんですが、家族でも生徒でもなく、赤の他人の、一人の大人として扱われる。一番大きいのはやっぱり就職して仕事に就くことでしょうね。社会人って言葉があるように、多くの人にとって働くことで大人になるって部分が大きいと思う。それは働く中で人から「他人」として扱われて、一方で責任と自由を与えられるからかなと。成人式が15歳の時に行われれば(大人として扱われれば)、15で人は大人になるだろうと思います。昔はそれぐらいの年でも働いていたわけですし、おそらく今の二十歳よりずっと大人だったんでしょう。

スーツが似合うこと

冒頭で僕は「何がどうなれば「大人になった」と言えるんだろう」と悩んだと書きましたが、結局いろいろ考えたあげく「スーツが似合えば大人だ!」という謎の結論に達しました。あとで鏡見て絶望しましたけど。

ただ見た目というのも意外と大事だなとは思ってて、やっぱり「この人かっこいいな」と思える人って面構えが違います。そしてスーツが似合う。僕は未だに、新しい美容院行くたびに「高校生ですか?」って聞かれます。泣きたい。



ひとつだけ確かなのは、結局成人式を終えたところですぐ大人になれるわけじゃないってことです。いわば新成人たちは“大人年齢0歳”なのです。成人したからと言ってすぐ「大人」になれるわけじゃない。大人としては生まれたばかりの赤ちゃんなんだから、まだ声も出ないし一人で歩くこともできないのです。ただそれはそれで、当然のこと。自覚は持ちつつ変に気負わずやっていれば、そのうち「大人」になれる。そんなふうに思います。

できる大人のモノの言い方大全

できる大人のモノの言い方大全

<