子供が「母性」を学ぶ物語~おおかみこどもの雨と雪

金曜ロードショーで「おおかみこどもの雨と雪」観ました。

おおかみこどもの雨と雪(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)

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観終った感想としては、前半部分はちょっと稚拙で青臭く感じてうーんって感じだったんですけど、後半がすごくよかったので全体としてはまあまあ面白かったかなと思います。

以下ネタバレありなのでご注意ください。

花の報われなさと無償の愛

母親としておおかみこどもたちを育てた花ですが、ありえないほど報われない人でした。その境遇をざっと挙げると

①苦学して大学に入り、そこで一目ぼれしたはいいけどなんとその人はおおかみ男

②彼との子供を二人もうけたが、父親だけ早くに死んでしまう。

③その後もありえないほど色々な苦労をして一人でふたりを育てたが、やっと一人前になってきたところで雨が自立し、おおかみとして山で生きていくことを決意。

④あまりに突然の出来事で最初は戸惑ったものの、最後は「しっかり生きて」と笑顔で送り出す。

⑤雪は終始物語の語り部でしたが、中学で寮に入ったと言ってました。
一人残されてしまった花は、今もあの山奥の家でつつましく暮らしている。


花は物語で一度として不満や愚痴をこぼしませんでした。正直、現実ならそんなことあり得ないですよ。どんなに良い母親でも、時には逃げ出したくなる時があるはずです。ちょっと経験積んだ、ある程度の大人が観れば、こんな母親いない、リアリティがない、と感じるでしょう。はっきり言えばその献身ぶりはキモチワルイ。花の苦労と異常な報われなさの一方で、文句ひとつ言わず無償の愛をささげる健気さ。


こうしてみると、ありえないほど花には自我がない。子供を育てるためだけに全人生を費やした、健気で美しい純度100%の母性があるだけです。一方父親の「彼」には名前すらない。この物語に父性は必要なかった。だから物語の序盤で監督が「殺した」。


昔と違い、今は子供を育てる上で母と父両方が協力し合って育てようって風潮が大きくなってます。それは「イクメン」や「主夫」って言葉とその広まりにも象徴されてる。女性は子供を産み育て家を守るものだっていう考えは古い。そんな現代にあえてこの時代錯誤な物語を作った。何を投げかけているんだろうか。

イデア的物語としてのおおかみこども

イデアってのは哲学者プラトンが言ってた概念です。もうほとんど忘れかけてた知識なんで間違ってるかもしれないんですが、今いるこの世界とは別に「イデア界」ってのがあって、この世界にはない「完全なもの」がそこにはあるみたいな話だったと思います。例を出すと、この世界には完全な球体と言うものはない。どんなに完璧に見えても完全ではないから、「完全な球体」ってのは我々にとって概念に過ぎないんですよね。でもイデア界には「完全な球体」がある。


「おおかみこども」で表現されていた花の母性はあまりに完全です。母性なんてものがあるのかわからないけど、花はそれは純度100%の、健気で美しい母の性の塊みたいな人。あまりの完璧さに僕なんかはちょっと嫌悪感を抱いてしまうほどです。これはどう考えても「イデア」の人でしょう。花は抽象的な言葉としての「母性」をそのまま人として具現化したような存在。


この「おおかみこども」は大人が観て楽しむ映画じゃないんだろうと思います。アニメなんだから基本的に子供向けで実際のリアリティに欠けたものであるはずですが、この映画は特にそうだと感じます。正直いい大人がこの映画を観て何も違和感を感じないってのはちょっとどうなのと思う(別に人それぞれなんでいいんですが)。結論として、この映画は「子供たち」に対しわかりやすく「母性とはこういうものだよ」と伝えるための映画だったんじゃないかと思います。怠惰や無責任さはあえて取り除き、美しくて純粋な母性だけを残した。これだけシンプルなら確かに子供も「母性ってこういうものなのかな」ってわかると思うのです。


というわけで、現実との乖離が分かる「大人」にはこの映画は向かない気がします。特にその乖離が気になって許せないって人には。まぁ僕に関して言えば、この「イデア的物語」を普通に楽しめたし、はかなく切ない物語として観終わった後の余韻は悪くなかった。こんなの現実じゃありえないってのは確かにそうなんですけどこれはアニメですし、僕は観ている間はあんまり難しいこと考えないんで、フィーリングで楽しめました。絵も綺麗ですしね。

以上。

劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック

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