僕の父は結構、物を大事にする人だ。今はもうないけれど、十数年も前に買ったテレビをずっと使っていた。そんな父がなかでも大事にしているものがある。腕時計だ。別にブランドものというわけでもないし、古ぼけてたくさん傷のついた、平凡な銀色の時計だ。
なんでさっさと新しいのに買い替えないんだろうと、僕は子供のころから思っていた。
◆
東京タワーは今や東京だけでなく、日本と日本人の中で象徴的な建物だ。
着工当時は工事の騒音などで周辺の人々から煙たがられるも、完成と同時に多くの観光客を集めたという。そして今や東京という場所の象徴として、目印としてそこにある。もはやただの電波塔ではない。
東京タワーの「扱い」には面白いものがある。例えば『ゴジラ』などの怪獣映画では、東京を襲う怪獣にぶっこわされる。なぜ東京タワーをぶっこわすのかというと、それが人々に「リアリティのある絶望感」を与えるからだろう。東京の中心にいつもあるはず赤い塔がなくなる。するとなんとも言えない無気力感、心にぽっかりと穴が開いたような喪失感におそわれるのだ。
時は経ち平成になると、今度は東京タワーを「昭和の象徴」として懐かしみをもって捉えるものが多くなった。『ALWAYS 三丁目の夕日』や『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~』などである。その中で東京タワーは常に、物語の「背景」としてそこに在る。漫画やテレビ、音楽でも同様である。日本の歴史、東京の歴史、そして人の歴史の中に、常にバックグラウンドとして東京タワーはそこに在った。
多分これからもそうである。
◆
あるとき何を思ったか、父にこう聞かれた。
「父さんの時計、いるか?」
差し出されたそれを見ると、例の腕時計だ。いったい何十年使ってるんだろう。あちこち錆びついて痛んでいる。
「いや、いらない」
僕は答えた。
「そうか」
そういって再び、父はそれを腕に着けた。「スカイツリー」に買い替えるつもりだったかな?
一方僕の左腕には、すでにちょっと傷のついている、銀色の腕時計が光っていた。
僕の「東京タワー」である。
- 作者: リリー・フランキー
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/06/29
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 24回
- この商品を含むブログ (29件) を見る