プレッシャーをはね除ける方法はひとつしかない―井端弘和『勝負強さ』を読んで②

前記事に引き続き、中日ドラゴンズ井端弘和選手の著書『勝負強さ』について。

「ここ一番の勝負どころ、土壇場で力を発揮するためには、どうすればいいのか?」

最終的にたどり着くべきは「ほどよい緊張と集中」。本番を迎えたその時、自分のメンタルをここまでもって来ればいいわけです。
その「いくつかの方法論」の一つが「マイナスイメージを一切持たない」であり、僕なりに解釈して言い換えるなら「揺るがぬ確信をもって臨む」こと。そのために必要なのが愚直に試行錯誤を繰り返すことなわけです。

本番で最も怖いのはやっぱり「プレッシャー」。だけど・・・

勝負どころでなぜか結果が出せない、失敗してしまうというとき、その主たる原因は何でしょう?多くの人にとってそれは「プレッシャー」ですよね。
どう考えてもこれが一番やっかいです。どうにかしてこいつをなくしたい。

でもちょっと待ってください。土壇場で結果を出すマインドとは、何度も書いているように「ほどよい緊張と集中」です。つまりプレッシャーが0になってしまってはダメなんです。よく考えてみれば、本番であるにも拘らずプレッシャーを全く感じないという経験、ないわけじゃありません。それはどんな時かというと、真剣にやっていない、もしくは真剣にやる気がない時です。全く勉強してなくて赤点覚悟の試験とか。これではいくらプレッシャーがなくても意味がないでしょう。真面目にやる気が起きないということは、やろうとしていること自体がどうでもいいことか、どうせ無理だと諦めているかでしょう。あるいは得られる結果にそれほどのバリューがないか。これではそもそも「土壇場」ですらない。

何が言いたいかというと、真剣にやるからこそプレッシャーを感じるのであって、プレッシャー自体、悪いものではない。大事なのは「いかにコントロールするか」ということです。が、それが難しい。プレッシャーを思い通りにコントロールする方法なんてあるの?


答えは「ある」です。

どうするのか?それは『本当の練習』をすることです。

「練習のための練習をするな」

「本当の練習」とはなんなのか?それは、本番の状況や心理状態と同じ環境・状況下で行う練習です。これが必要だと知るに至った、井端選手のエピソードがあります。井端選手曰く、「自分の野球人生で最も緊張した場面」。

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井端選手の大学時代、1994年秋。彼の亜細亜大はその年東都大学リーグの1部で最下位に沈み、2部との入れ替え戦を戦わなければならなくなった。亜細亜大はそれまで東都の歴史上、2部に転落したことがない。先輩たちが築いてきた伝統に泥を塗るわけにはいかないのである。なんとしても2部転落を防ぐために、是が非でも勝つ必要がある。

しかし一勝一敗で迎えた第三戦、相手チームの強力なピッチャーに亜細亜大の打線は打ちあぐみ、0対1と1点を追う展開のままイニングは9回へ。
当時1年生だった井端選手はセカンド・1番で先発出場。その回は9番バッターからの攻撃で、そのバッターがヒットを打ちノーアウト1塁に。井端選手へのサインはセオリー通りの送りバント

ところが相手ピッチャーの放つキレのある鋭いスライダーに、井端選手はバントを仕掛けて空ぶりしてしまう。
「これはまずいなぁ。バントで送れるだろうか」
そんな井端選手をみたベンチからタイムがおくられる。
「バントができるのか、できないのか」鬼のような形相で詰問する先輩。
「できません」と正直に答える井端選手に先輩が掛けた言葉は

「ボールがきたら、バットでやるんじゃなくて、顔でやれ」

顔面でぶつかって死球を取ってでも、走者を進めろということだ。
負ければチーム創設以来初という屈辱の2部落ち確定。亜細亜大の伝統を汚すことになるとなれば、先輩が目を血走らせているのも当然。
さらに亜細亜大野球部の上下関係は伝統的な体育会系のそれで、先輩命令は絶対。

つまりこれは「比喩でも冗談でも」なく、「死んでも送れというのである」・・・

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どうですか?こんな状況耐えられます?まさに「決死」、僕なら150%その場から逃げだしますよ。
大学生とはいえ強豪校のピッチャーともなれば実力はほぼプロ。そんな投手の投げたボールを顔面で受けなければならないなんて・・・

よく死ぬ気でやれという言葉が使われるが、本当に死ぬ気でやらねばならない場面に遭遇したとき、人間は、どうなるかがよくわかった。
僕はもう震え上がってしまったのだ。

うーん。そりゃそうですわ。。。

絶対に負けられないという責任感と、失敗したらどうなるんだろうという恐怖感から来る、これまでの野球人生で一度も味わったことのない極度の精神状態だ。

このあと井端選手は見事バントを決めます。
試合のあと、この状況を振り返った当時井端選手が思ったことは

「プレッシャーとはこういうことか」
前述した亜細亜大時代の入れ替え戦のバントで初めて身をもって知った。
「野球が怖い」と思った。
その日を境に、僕の野球への取り組む姿勢と考えたがガラッと変わった。練習の段階からプレッシャーのかかるケースを想定して、真剣にやっておかないと成功はないと自分に言い聞かせた。


練習の段階からプレッシャーのかかるケースを想定して、真剣にやっておかないと成功はない


これが「本当の練習」の意味です。
実は井端選手、このことを高校時代に当時の野球部監督に「練習のための練習をするな」とずっと言われていたそうです。
しかしその意味を本当の意味で分かっていなかった。わかっているつもりでいたのです。

この試合は井端選手本人が今でも「過去最も緊張した場面」としており、WBCでの打席よりも、その他どんな打席よりも緊迫した打席だったと述べています。間違いなく井端選手の、野球人生における転機でしょうね。もし仮に、この打席でバント失敗、もしくは本当に顔面でボールを受けていたとしたら、多分井端弘和は野球をやめてたんでしょうね。それほどの出来事だったんじゃないかと、読みながら思いました。



つまり何が言えるかというと、先述した「愚直な試行錯誤」は単なる反復練習ではないということ。本番を想定した、極度のプレッシャーがかかる場面を想定した真剣な練習を行わなければならないということです。

これを積み重ねることで初めて本番で「揺るがぬ確信をもって臨む」ことができる。自信を持って臨める。
そしてこの自信こそが「ほどよい緊張と集中」を生み出す源なのです。

前記事⇒ほどよい緊張と集中―井端弘和『勝負強さ』を読んで①

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